ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

老眼鏡

 老眼鏡を必要とするようになってもうそろそろ10数年くらいになるんじゃないだろうか。とても不便に感じ始めたのは丁度10年ほど前に黒板の字と手許の書物とを見比べながら話を聞くという生活をはじめてからだ。元々近眼だから、遠くの席に座ると近眼鏡を外して手許を見なくてはならなかったのだけれども、それが一段と進むようになった。
 その当時、一度は遠近両用の眼鏡を造ってみた。ところが前にも書いたことがあるのだけれど、今の「境目なし遠近両用眼鏡」は眼鏡のレンズの下部の真ん中部分に老眼鏡部分がある。それが実に横書き文章を読むのに読みにくい。
 本当のことをいうと、四角いレンズで上半分が近眼で、下半分が老眼になっている眼鏡があると実に使いやすいだろうと思っていた。だから、眼鏡屋に相談したら「もう、今はそういうレンズを造ってくれないんですよ」といわれたのだ。そこで、私は近眼鏡をかけたままそこに老眼鏡を二重にしてみた。するとこれが実に重宝なのだ。上半分で黒板を見て、下半分で手許の資料を読む。完璧だ。しかし、これが完璧に格好悪い。だから、電車の中で本を読むときは眼鏡をわざわざ取り替えて読む。降りる駅が近くなるとまた取り替える。
 ところが、先日電車に乗ると、反対側に座っていた、ほぼ私と同年齢と覚しきおじさんがさりげなく、その二重眼鏡で文庫本をお読みになっている。あ、やられたな、と思った。そうそう、別に誰かが私の二重眼鏡を見て、あげつらうなんてことは考えられないからいいんだなぁ、と。
 そう思っていながら、未だに実行できない。あれは楽だ。

 自分でそう書きながら云うのもなんだけれど、「老眼鏡」といわずに英語でそういうように「読書眼鏡」とでも呼んだ方が良いなぁ。