ほぼ足りてまだ欲 その先

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漫画

 もう漫画を手にしなくなってからずいぶん時間が経った。小学館ビッグ・コミック系をずっと読み続けていた時期があった。バブル前からバブルになる頃だっただろうか。
 いささか旧聞に属するが、週刊金曜日の765号を何気なしに手にすると斉藤貴男と森達也が「僕らが読んだあんな漫画、こんな漫画」というタイトルで対談をしている。おっと思ったのは、斉藤は日本工業新聞記者時代に本当に良く漫画を手にしていて、私の頭の中ではあの頃の彼とその後の彼とが繋がっていなかったのだけれどもそれがここで確認できたような気がしたからだ。
 この二人の対談だから、当然体制に対するまっとうな批判が表に出てくるはずで、弘兼憲史をどのように語るのかに興味があった。斉藤は弘兼にインタビューをしたことがあったのだそうだ。その時に「エイント・チャウ」「夢工場」(この辺は私の記憶にはない、さすが斉藤だ)「人間交差点」といった、反体制というか、低い視点の作品を描いていたんだけれど、本人はいやでしょうがなかったといったそうだ。これを読んでようやく私の中でひとつ解決した。弘兼が電事連の宣伝広告に勲四等旭日小綬章漫画家・故鈴木義司の後を受けて登場したことの意味がようやくわかった。いや、やっぱりそういうことだったかと確認したといっても良いだろう。
 しかし、斉藤が弘兼を表現するのに“雁屋哲以上に「団塊の世代」的な人だから“という表現をしたことで彼が先行する世代をそう見続けていることを知った。こういう表現に彼がとりつかれている要因、根拠というのはなんだろうかと尋ねてみたい気がする。多分私が彼にこの質問をしたら彼は私の人生を一つ一つ取り上げて、ほら、そういうことでしょ?といういい方をするんだろうと思う。そして多分お愛想でも、席を同じくしないだろうという気がする。そんなことをしていたら今の彼はできあがらなかっただろう。