ほぼ足りてまだ欲 その先

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コレクター

 もう随分前のことなので、あんまり正確なことを覚えてはいないのだけれど、1970年代のホンの始まりの2-3年のことだと思う。私が働いていた職場におられた先輩で唯一の技術者の方がおられた。とても真面目に仕事に取り組む方で、仕事はしょっちゅう出張で、日本の港をあちこちかけずり回るという大変なものだった。尤もその方は単身赴任で、寮に暮らしておられたと記憶している。なんでも私の両親が結婚式の仲人をしたとか。昔は結婚式には必ず仲人がいた。今ではちゃんと仲人さんがおられる結婚披露宴にとんと遭遇しないけれど。
 一度だけその方のおうちに遊びに行かせて貰ったことがある。今となっては一体どの辺だったのか、全く記憶がない。しかし、覚えているのはその人のコレクションなんである。今そのコレクションがどうなっているのか見当もつかないし、その方の生死すら分からない。今、あの「鑑定団」に見せたらどんな反応が返ってくるかとても興味がある。
 そもそもその方のコレクションの中心を占めるのは切手で、これはコレクターの数はわれわれが少年だった頃もかなりの数に上るはずで、その一回り以上上の年代もかなりいただろう。他にも貝が描かれた切手のコレクターで、残りはあと2枚だ、といっていた方も知っているけれど、多分同じくらいか、もう少し歳上の方だったかもしれない。
 一番驚いたのがその方のお父さんが持ち帰ったという「ツェッペリン号」乗船時のダイニングのメニューだった。良くホテルのダイニングで出てくるメニューのようなもので、縦に二つ折りになっていて、オントレーからずらずらと書いてあった。その表紙がどんな絵になっていたのかも覚えていない。なんでもその方の父上が逓信省のお役人だったそうで、欧州研修にいった時に乗船したのだそうだ。1937年までは就航していたらしい(ウィッキペディア)から、それ以前の話だということだろう。
 挙げ句に父上には東京の本省から、そろそろ引き上げて帰京されたし(そんな文章だったかどうか確信は全然ない)、という電報が届いたのだそうで、その電報すら、その方は保管しておられるのだった。まだまだ他にいろいろあったように思う。こういうものが保管されているのだから、それは相当に几帳面な方で、その方の仕事も実に丁寧で、漏れがなく、几帳面に処理されていたことを思い出す。今、あれだけ残っている資料を使って何かをまとめられたのだろうかと、時々思い出す。もう一度みたいものだ。