ニューヨークにいる金平茂紀が例の密約に関する興味深い記事を書いている。→(こちら)
情報公開法の施行を前にした2000会計年度に、外務省は1280トンにものぼる「取り扱い注意」(sensitive)記録を破棄したほか、財務省も 620トンの文書を破棄したという。
(中略)
手元に1通の公電のコピー。1972年4月18日付の文書で東京のアメリカ大使館からワシントンの国務省に打電されたものだ。Confidential=内密扱いの公電だが、中身を読むと、やりきれないような複雑な気持ちに陥る。
いわゆる「西山事件」の直後に、吉野文六・北米局長が更迭されることになり、その吉野氏がインガソル駐日大使とプライベートな懇談を持ったときの会話内容が記されているのだ。吉野氏は、更迭についてあからさまな不快感を隠さず、自分の更迭は、沖縄返還交渉での400万ドル支払い肩代わりの政府の責任をめぐる政治抗争の犠牲になったのだと、インガソル大使に愚痴をこぼしているのだ。さらには自分の更迭は、毎日新聞編集局長および西山記者の解任との引き換えに使われたとまで言っている。
吉野氏はインガソルに対して、福田赳夫外相は温かい人柄で、将来の自分の地位確保や大使級の処遇を保証してくれたなどと伝えたうえ、自分の後任候補ナンバーワンは大河原公使(当時は在ワシントン)だと正確に伝えていた。そんなことまで克明に記されている公電のコピーを読んで、行間から何とも言えない人間くさいドラマが立ち上がって来るのを垣間見る思いがしたのだ。僕はずいぶん前に吉野文六氏にインタビューしたことがあるが、以前は「密約など存在しません」と主張し続けていた氏の主張が180度転換したあとのことだった。吉野氏は密約の存在を認めたばかりか、次のような非常に興味深いエピソードを披露した。それは2000年の5月に、当時の河野洋平外相から直接電話を受けて、密約の存在を否定するように要請を受けたという事実である。まあ、大臣が「事務方」からの進言を受けてそうしたのだろう、と吉野氏は語っていたのだが。ではなぜ河野外相が電話を入れたのかと言えば、それは直接的には琉球大学の我部政明教授が米公文書館で密約の存在を裏付ける公文書をみつけたからである(2000年5月)。
私たちに本当のことが知らされていないだけではなくて、私たちの国の歴史を抹殺しているのが官僚の実態だということを知ると、私が暮らしているこの国は本当にあの戦争を超えて民主化されたのかどうか、はなはだ疑問だ。内務省官僚の考え方をそのまま未だに引き継いでいるんだという保阪正康の説明の根拠を目の当たりにするような気がする。