ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

清水駅の地下通路

 1957年の夏、おやじが転勤になって引っ越し。清水の駅に列車から降り立つとプラットフォームから地下通路を通って西側の改札口に出て行く。この地下道がとても不思議な感じがしたことをとっくに忘れていたのだけれど、こちらの方の写真を見せて戴いてふと思い出した。
 この方が書いておられるように、当時は跨線橋に上る階段はなかったような気がする。多分、乗降客が増えて地下道だけでは混雑するので造られたのではなかったかという気がするけれど、それがいつ頃のことで、私が気がついたのがいつなのか、やはり全く覚えがない。
 考えてみると、小田原、熱海、三島、鎌倉なんていう駅はみんな地下道で、だから駅から出た雰囲気がみんな似ていたような気がするのだけれど、この清水の駅だけは同じような雰囲気がしなくて、同じ匂いを感じなかったのは、駅頭へ出るのに、また階段を上がらなくてはならなかったからかもしれないし、その出口が西に向いていたからかもしれない。当時は駅前のロータリーから出るバスにはあんまり縁がなくて、ロータリーから国道に出て右側にあったバスターミナルからバスに乗った。
 三保の家まで帰るのにはここからまた三保行きの静鉄のバスに乗る。今だったら駅の東側の海側に綺麗な跨線橋を渡って出ることができるし、出たらすぐそこに三保が見えるのだが、当時は半島をぐるっと回ってバスは行くので、優に半時間はバスに乗っていたような気がする。
 たった一枚の写真を見せて戴いただけなのに、当時の三保の先端にあった蜜柑の皮を干している匂いや、朝捕れたシラスを茹でる匂いなんかが鼻の先にかすめる。匂いは想い出とともにやってくるのか。