ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

素人で悪いか

 自民党諸兄は民主党国民新党連立政権(本当はここで社民党を入れなくちゃならなかったけれど)を評して「素人ばっかりで」という。じゃ、君たちがいう「玄人政治家」というのはなんなのか。私は政治というものは口先だけで「国民のために」といっていれば良いというものではないと考えている。
 政治には高邁な思想が必要だ。そういうものを持っていない人間が政治に携わるのはおこがましいと思っている。学生のサークルじゃないんだからおいしくて、美しくて、立派なことをいっていれば済むわけじゃないんだというのはもちろんそうだろう。だけれども、これまではこうしてきた、こう考えるのがあたりまえだ、という既成概念の上に立って世の中を動かしていくのであったならばそれは政治ではなくて、執事だ。
 不利な立場にいても真摯に取り組んでいこうとしている人たちに少しでも利することのできるシステムがなんなのか、そしてそれはどうしたら実現できるのか、というようなことを考えるのが政治の役割であって、このシステムの中でどうしたら票をもらえるのかを考えるのが政治ではないはずだ。
 だから時には自分の信念通りにいかないこともあるはずで、その時にはどうしたらそれを変化させていくことができるのかを考えるべきであるだろう。
 ところが霞ヶ関の究極の目的は、どうしたら後ろ指を指されずに任期を全うできるか、というところにあるから、変化は極力排除したいとする。それにはこれまでの路線上に立ってこれまで顰蹙を買わなかった方法を駆使すればよいのであって、それで非難されたら「私が始めたわけじゃない」と説明ができればよい。
 となれば、「先生」方を立てながら、実質中央が一番力を持てるシステムが良いに決まっている。指示系統の頂点を持っていればよい。
 そのための手段、思想、評価基準はこれだけの年数をかけて綿々と築かれてきていた。その築かれたものを崩すのには、そう簡単には実現しない。昨日今日の作業では難しいだろう。それを考えたらたかだか8ヶ月やそこらで「結果」が出なくてもあたりまえだ。
 今まで通りの轍を踏んでいればいいと思っている自民党とその一派である「ナンタラ」党にはそんなことをする「積もり」もない。
 渡辺某だって「天下りを追求する」だなんていっていたけれど、今の発言を聞いていれば彼がそんなことを本気でやろうとしてはいなかったことは明白だ。