ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

取り敢えずいっておくと

 私はプロフィールにも書いてある通り、1947年生まれのいわゆる団塊の世代のトップバッターといわれる年代である。この年生まれは嘘のように多くて、それまでの倍くらいの数がいたんじゃないかと思われる。しかも文部省も、なにかというと、この学年から様々な制度を変えようとしてきた様子が窺える。高校時代に一学年上の人たちが「俺たちは浪人するわけに行かない。お前たちの代から新・学習指導要領になっているからなぁ」といっていた。「申し訳ないです」なんていっていたけれど、心の中では「別段俺たちが悪い訳じゃないんだ」と思っていた。
 60年安保の時、私たちは中学に入学した。当時私は静岡にいて、学校の帰りに近所の田んぼで船を追いかけていたりしたくらいで、全然問題意識は持っていなかった。ところが5年後には品川区の高校にいて学校始まって以来というエレキバンドをつくり、土曜日の講堂でなんの前振りもなく、同級生を集めて演奏した。なにしろ旧高等女学校だったような学校だったから、相当に破天荒な突っ張り方をした。乱暴なんではなくて、今から考えてみると「戦後の価値の転換」運動をまだまだ続けている、という意識だったような気がする。
 ここから先、私たちのような戦後の生まれがどんどん増えてくるに従って、既存のルール、既存の規律というものがどんどん見直され、新しい、目指すべき、人間的な価値観に基づくルールに取って代わられていくんだと、相当な手応えを持って確信していた。だから、「この学校ではそれは許されていない」という反応に対しては、「それはなぜか」と解き明かしていくと必ず改革できるし、それが正当だと信じていた。
 それがこれはそうそう理解されていないんだな、とわかったのは、1960年代が終わり、1970年の万博が思いもよらず国民の支持を得て、あんなに人に溢れているのを見て、あぁ、この国は人間的価値観の上では変わる気はないんだなと思った頃からだろう。
 私自身が知らないうちに心の中に造り出していたフラットな国民的国家をこの国は世代が交代していくうちに必ず作り出すんだと思っていたのだけれど、どうやらそんなことを希求している人はあんまりいなかったということだったんだろう。
 私は同世代はきっと同じような感覚を抱えているんだろうと全く根拠がないのに信じていた嫌いがある。だから、上の世代から反駁されても、「ウン、ウン」といいながら「そのうちドラマティックに変わるんだから」と思い込んでいた。
 恥ずかしいことに企業に入ってからも、10年くらい経つと、大きく社内の感覚も変わるだろうと思っていた節があるんだけれど、それこそ正に全く変わらなかった。「変えよう!」という社内キャンペーンを張っていたこともあって、その先頭に立とうとしたけれど、社内ではものの見事に浮いていたなぁ。
 まだ63年目になる程度だけれど、なんだかこれまでず〜っと「いつか、変わるんだから」「後から考えるとずいぶん変わったなぁということになるんだ」と思い続けてきたけれど、そう簡単には変わらないのだった。