ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

騙されちゃダメだよ

 ツイッターでご本人が「駆け出しの新聞記者」だと書いておられる方がこう呟いた。

少なくとも、学生運動の当時は体制の打倒を叫んでいたけど、就職して出世して体制側になって、定年まで逃げきって退職金しっかりもらって、僕らにはツケを残した大人に若者を語られたくはないのだ。

 このパターンが私のような団塊の世代に対して若者からぶつけられる世代間批判の典型的な例ではないかと思う。
 確かに私たちの世代の幾分かは学生運動といわれた行動を起こしていた。ひょっとすると本当に学生たちが起動力になって世の中の仕組みをもっと変えることができるのではないかと思い込んだことがある。しかし、その原点はより格差の少ない、平等な社会であるべきだということが根底にあって、その上になにしろ戦争によって富を偏在させようとする勢力に負けてはならんという気持ちが働いていた。安田講堂が陥落した時に、どうせなら武器を使って本当に蜂起しなかったのは何故かという気にもなった。
 そこからものの見事に体制に身をなげうった、といわれてきたけれど、ヤーヌスの様に二つの仮面を被ってきたわけではない。と、まぁこんなぐあいに良い訳を仕様とすればいくらでも細かく説明をしていくことはできるだろう。
 ところで私たちの世代の幾分かは定年まで働いてもらえる人たちは退職金を貰って退職した。逃げ切ったとは何事かと憤懣やるかたない、人が出てくるだろう。例えば私についていえば少なくとも10年以上にわたって給料を名目からカットされてきた。しかも50歳を超えてから徐々に給与は削減されてきた。逃げ切っちゃいないね。しかも、そうしたひな形に嵌めて語ることができるのは本当に好調な大企業に勤めてきた人たちに過ぎない。
 そして今の若者たちに対してツケを残したというのは何を捉えてそういっているのかという部分がわからない。これがもしも、国債という形での「ツケ」についていっているのだとしたら、それは私たちもそれを語っても良い資格を持っているといえる。そしてそれが例えば「年金」について語っているのだとしたら、それは厚生省政策がそれまで積み立て方式であったものを、むちゃくちゃに使ってしまっていつの間にか賦課方式にしてしまったところに問題があるのであって、それを一般論として拡大するところは飛躍が大きすぎる。
 彼がどんな新聞会社で取材をしているのか知らないけれど、感情論で記事を書かれたくはない。
 そして、本来的に語られなくてはならないのは、今のこのシステムをどう変えていったら、より実効的なものとなるかという点について語ることなのだ。
 投げ出すことの得意な近頃の風潮はこれを解決することができるだろうか。