私が帽子についてここでしばしば触れているのでご想像がつくだろうけれど、私は常に帽子を被って外出する。それこそ、暑かろうと寒かろうと、朝だろうと夜だろうと。
それはもう髪の毛がお情け程度にしか残存していないことにも要因があるけれど、実は20代から帽子は大好きだった。その頃は帽子といってもキャップで、ひどい時には30個以上が玄関の棚に溢れていた。その中には米国で入手してきたものや、アフリカで貰ったものや、なにかの記念に創ったものなんてのがあったけれど、始まりは多分学生時代に横須賀で買ったアポロキャップだった。
尤も当時はアポロキャップとは呼んでいなかった。米軍向けに刺繍をやっていた店で、ツバに黄色のオリーブリーフを刺繍したキャップを売っていたのだった。それを友達と一緒に買った。多分彼はもう覚えていないだろう。
ハットを最初に買ったのはいつだろうかと考えると、多分米国の田舎に行った1979年のことだろうと思う。いつかどこかでチャンスがあったらとSTETSONのカウボーイ・ハットを買ってしまった。買った次の日にそれを被っていったら大いに同行者の顰蹙を買った。これは未だに箱に入ってうちにある。滅多に被らないから痛まない。当時は今と違ってソフト・フラノの様な帽子は殆どなくて、みんな堅く形ができているものだ。だから、今かぶったら多分相当に違和感があるだろう。
日本で私がハットの類を被るようになったのはいったい、いつ頃からだろう。今思い出してもはっきりしない。
昔は多くの大人が帽子を被っているのは当たり前だったので、街のあちこちに帽子屋があった。夏になると大人から子どもまで白い帽子を被っていたし、いい歳をした男はてっぺんに筋がついたパナマ帽を被っていた。今は殆ど見ない。
冬のハットではやはりSTETSONのソフトを買ったのが最初かもしれない。もうどこで、いくらだったのかも覚えていない。これもまだある。多分。まだ通勤していた頃は冬に雪が降るとこれを被っていった記憶がある。なにしろ会社に帽子を被っていったら多分奇異な眼で見られただろう。
そのうちに友人のお父上が亡くなった時にそのお父さんの形見の帽子をどっと戴いた。その友人はサイズが合わなかったのだ。今でもその時に戴いた帽子のいくつかが現役で残っている。こうして四六時中帽子を被っているのを知って、それなら誰も被らないのがあるから上げるよと仰る人が4-5人出てこられて、思いもよらない帽子を入手することもある。
ここ数年、若い人たちがハットを被りだした。誰の影響なのか知らないけれど、テレビに出てくる不良あがりみたいな歌い手さんたちも、あみだにしたりして被って出てくる。古くはテレビでいえばジュリーがステージから投げる帽子だったのか。(あの帽子はそのまま上げちゃってたんだろうか?まさかねぇ。しかし、取り返しに行くのも如何かと思うけれどね)。
おかげで男性ファッションの店に行くとあちこちで帽子を見るようになった。ところがキラキラしていたり、突拍子もない形だったりして、とても頭の薄い爺さんが被るタイプじゃない。頭にのっけてみるのが気恥ずかしいようだ。店員さんたちも私が手にしていると、寄ってこない。ほら、ほら、また勘違いの爺さんが来たよという雰囲気ムンムンである。アハハ、なんである。
どうやらハットを若者にとられてしまった感があるのだ。こりゃ、はっきりいってまずいのであるけれど、そうかといって、ひとりであがいてもしょうがない。キャップを被って出掛けるのをできるだけ避けて、ハットのまともな奴を被るという日々を創らないとダメかな。
欧州をチラッと歩くと、ほ、ほぉ〜と見惚れるハットを被っているお爺さんに出逢うことがある。思わず声を掛けてどこで入手したのか聴きたくなる。お前みたいなチビデブには似合わんよ、といわれそうで、怖いが。