ほぼ足りてまだ欲 その先

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神保町

 

考える人 2011年 02月号 [雑誌]

考える人 2011年 02月号 [雑誌]

 今日は28日で多分年内最後の配本日らしくて、雑誌の類が今日店頭に並ぶというものがたくさんあるらしい。そのひとつが新潮社の季刊雑誌「考える人」で、今日は「考える人」の日にしようと、この雑誌のバックナンバーを見られるところはないものかと考えながら、取り敢えず地下鉄に乗った。国会図書館とか都立中央図書館とかのどこかの図書館にいっても良いのだけれど、いずれにしても今日発売の#35を入手しなくてはならない。それなら、もう何をいわれても良いから*1古本屋で探してしまえ、という気になって、足は神保町に向いた。
 神保町に行くのも10月末の古本まつり以来のことだ。神保町の靖国通りに面した店で雑誌のバックナンバーを扱っている店が何軒かあるからなぁと思って首を突っ込んでみたら見あたらない。偶々其処に年の頃なら35歳くらいの無表情の青年が出てきたから、訊ねたら全くその無表情のまま、歩いて行くからついていったら5-6冊おいてあった。
 そのうち私が見たことがない号が二冊あった。2006年秋の#18と2009年春の#28だった。正確にいうと#28の方はもう既に知っていたけれど、特集が「ピアノの時間」というやつで表紙はSteinway & Sonsのグランドピアノで、それだけでもうお呼びじゃないね、というものだったからハナから無視していたものだ。これには1500円という売り出し価格の1400円よりも高い値段がついているというのが何を意味しているのか、ちょっと不思議な気がしないでもないのだけれど、#28号の方はわずかに850円という値段だ。こっちの特集は私にとってはできるだけ避けて通りたい「家族が大事イスラームのふつうの暮らし」と書いてある。私がイスラムを苦手とするにはそれなりの理由があって、30年前に遡らなくてはならなくなる。この二冊を手にして、これまた無表情なお姉さんに金を払って出る。この店は無表情が売りなのかもしれないね。
 二冊しか手に入らなかったけれど、ま、それでも良いやと三省堂方向に歩いて行くと、もう一軒雑誌を扱っている店があって、其処にまた首を突っ込んだ。
 ここが意外に大漁で5冊あったうちで私が既に手にしているものは一冊しかなくて、残り4冊を入手。
 2002年秋の創刊2号なるものがあった。1000円。特集というのが別にあるふうでもなく、表紙の右に赤い字で“橋本治と考える「女って何だ?」”とあるだけで、p.12からp.39にまでわたっているから巻頭特集といっても良いのだろうけれど、この記事だけなんだから特集ってのはどうよ、という気がするし、この橋本の書いたものを読んでいると、この雑誌はオヤジ相手なんだな?と断じてしまいそうな気配だ。しかも、そのあとに続くのは藤原正彦の「満州再訪記」なんかである。藤原が新潮新書で「国家の品格」で当てたのは2005年だけれど彼もまた新潮社お抱えといった風情であることは違いない。
 この号の坪内祐三の「考える人」は田中小実昌である。坪内は彼のことを哲学者なんだと書いているけれど、私は彼が書いたものをひとつも読んだことがない。テレビに出てきてストリップの話をしているおっさんだったとしてしか認識していない。(ところで、あの当時はなんで文学者的なおっさん達はあんなにストリップが好きだったのだろうか。)あの人がアメリカで死んだという話は初めて知った。
 次が2004年春号で特集は「限定生産はなぜおいしい?」(どこから始まったのか知らないけれど、この号では堂々と特集と表紙に書いてある)で、う〜む、これまた私苦手の玉村豊男の名前が見える。なんで苦手かというと彼は私と同世代あたりの女性陣にことのほか評判が高いからという単なる嫉妬である。
 この号には坪内祐三が「駅そば」について原武史と対談をしている。脂ののりきった世代である二人が嬉しそうに品川の常磐軒ののれんの前で蕎麦をたぐっているところの写真が掲載されているのがおかしい。ここの立ち食い蕎麦は私も40年前に愛用していた東海道線のホームにある立ち食い蕎麦屋で、私は池袋から山手線で来て、横浜に向かう東海道線に乗り換えていた。つまり、そんな時間的余裕があるくらい当時、平日の4時頃の下りはそんなに走っていなかったということだろう。
 原武史は明学大の先生で天皇制を中心とした政治思想の研究者だけれど、なぜかこの分野でもサブカル的探求心とこだわりを綴り続けている。
 この号なんかは後ろの方の料理の部分とか、漆の器の話なんてのをちらちらと見ているとおっさん対象とばかりはいえないんだよなぁという印象を持つ。この号は700円で入手。
 次は2005年の冬号で、特集は「考える仏教」としてある。イスラムの話を特集して、ここで仏教で、つい先日の号で田川建三の「聖書」で、この雑誌は宗教を極めようという方向にあるのかないのか知らないけれど、教科書的では全然なくて、直球じゃなくて最初からフォークボールを投げちゃうのだから、ある程度素地を持っていないと手にしにくいんじゃないかということではないか。なにしろこの号だって最初は「ゴーマ・ブッダ」から始まるのだけれど、直ぐに大阪の應典院という別名イベント寺というお寺さんの訪問記になっている。茂木健一郎と禅僧の南直哉の対談はかなり面白そうだけれど、なんと次号に続くになっちゃっている。次号ってのはこの場合2005年の春号を差すわけでまた課題ができてしまった。「負け犬」の方の酒井順子(オーラルヒストリー学会にも同姓同名の方がおられる)が鎌倉・建長寺で一日禅寺体験を書いている。私にはできない。なにしろ正座ができない。若いうちにやっておかないとチャンスはないな。この号も700円で入手。
 次が2007号夏号でこれには通算の#21という番号が振ってある。特集は「続・クラッシック音楽と本さえあれば」としてあって、表紙はチェリストアンナー・ビルスマが自宅でチェロを弾いているところで、多分この時点で私はこの雑誌を却下していたのだと思う。この雑誌に気がついたばかりの頃のことで、私が初めてこの雑誌を買ったのはこの一号前の2007年春号ではないだろうか。
 この特集に「続」というのがついているのにはちゃんと理由があって、2005年春号というのが「特集 クラシック音楽と本さえあれば」をやっているのである。こりゃなんとしても2005年春号を入手しなくてはならなくなりそうだ。この号は1200円した。
 さて、ここまできて私の小さな木綿の袋も随分重たくなってしまったので、最後に三省堂にでも入って、今日出たばかりの最新号を入手して帰ろうかと、スズラン通りに入る。其処に一軒、そういえば雑誌を扱っている店があったなぁと入ってみたが直ぐには見あたらない。一番奥にお店のお兄さんがひとりでいるんだけれど、どうしようかと思いながら入っていくと、彼と目があってしまった。「考える人はない?」といったら彼はとても簡単に席を立って、「殆どないんですよぉ」といいながら棚に連れていってくれた。なるほど、たったの三冊しかない。しかし、しかしなんである。ここに寄って良かったのだ。
 2006年夏号#17を発見。これは創刊4周年記念特集としてあって、《戦後日本の「考える人」100人100冊》なんである。もちろん、戦後の60年(正確にいうとこの雑誌が出た時点で61年ということになろうか)の間に活躍した人たちの中から百人選び出して寸評をするというのはとても大変だ。この特集号にはこの百人を選び出した45人が並べてあるけれど、この人達が実に新潮社が好きな人たちなんだなと直ぐにわかる人選なんである。これはいくらで買ったのか記憶にない。要するに昔値付けしたものは半額の700円なんだけれど、大分評判が良いのか最近値付けしたものは1200円くらいになっているようだ。
 さて、それで三省堂にやってきた。一階の雑誌売り場にうずたかく平積みされていたのが最新号の2011年冬号#35号特集「紀行文学を読もう」である。まったくの話、この類の雑誌というのはなんでこう良い匂いがするものなんだろうか。恍惚としてしまいそうである。
 私の予想は大きく外れて、沢木耕太郎ではなくて池澤夏樹だった。沢木だって新潮社がお好きなんじゃないのだろうか。なにかあるな。ま、どっちにしても私は一切読んだことがない。こんなに読書をしない人間がこういう雑誌についてどうのこうのというのは如何なものかという気がしないでもないが、ま、これはしょうがない。頼まれたわけでもなくて、自分の発想でこの雑誌を手にしてみようと思ったのだからね。
 そうだ、三省堂に来たんだから、見てみようと6階の児童書棚に行ってみると、あった、あった。岩波少年文庫の「カレワラ物語」をついに入手。最初の頁を読んで驚いてしまった。こりゃ相当に破天荒な物語のようだ。パウロの布教の旅にまさるとも劣らない破天荒振りのようだ。
 ここまで来て、ようやく腹が減ったことに気がついた。2-3日前からtwitter上で亜鉛を摂取するには牡蛎だ、牡蛎フライだとやりとりがあって、私が今年になって未だに牡蛎フライを食していないことに気づいていた。
 どうせなら京橋の「SAKAKI」で、あのキャロット・ドレッシングをかけたキャベツの千切りとたっぷりのタルタル・ソースで嘘偽りのない牡蛎フライを食べたいと思ったが、もう時間も間に合わないし、行くのも面倒だなぁと思っているところで、「キッチンジロー・南神保町店」前に差し掛かる。
 大きな宣伝が出ていて「牡蛎フライ始めました!石巻産生牡蠣使用」と大書してあるではないか。でもなぁ、キッチン・ジローだもんなぁと逡巡した。一体全体最後にキッチン・ジローに入ったのって一体いつだよと思うがもう思い出せないほど昔のことに違いない。そういえば神保町界隈にはキッチン南海って奴もあったっけなぁと思い出す。しかし、腹は減り、背に腹は代えられず、というわけでとうとう入る。店の換気が追いつかないのか、何となく油の匂いがムッと来る店内だけれど、時間がずれているから50席ほどある店内は10人ぐらいしか入っていない。
 ここの売りは2品盛り合わせ890円定食だそうで、あとから入ってくる近所で働いていると覚しき男の人も、女の人も、あれとこれといって頼んでいる。しかし、私はそんなものには目もくれず、すぐさま発注は「牡蛎フライ」。これが実に、大きな牡蛎で、ふくよかで、もうちょっとタルタルを多めにつけてくれたらいうことがないというもので、あたり!それで980円は文句はない。その辺の洋食屋にいったら1500円は取られそうだ。

*1:あんたのそのいわゆる本の類ってのは家でも建てるつもりで集めてあるのかといわれたことがある