ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

記者クラブの思い上がり

 先日、総務大臣の記者会見でフリーのジャーナリスト、畠山理仁がUSTREAMで生中継をした。これには経緯があって、一年も前から畠山は大臣の記者会見で動画生中継を許可して欲しいと申し入れていたけれど、全くなんの音沙汰もなく、業を煮やして彼は生中継を強行した。その記者会見の模様はそのまま彼の映像を見ることができる。(こちら)。私もこれを見た。
 同じくフリーのジャーナリストでこの現場に立ち会っていた田中龍作がこちらでその顛末を記録している。
 畠山自身のブログはこちら
 この一年前というのは前総務大臣であった原口一博が大臣記者会見をオープン化したという記念すべき日だったのだそうである。
 畠山理仁はこの記者会見で大胆にも(良くこういう表現が使われるので使ってみたかった)「記者クラブが決めたルールを破って動画配信している私を大臣は以後『(会見室に)入れない』のでしょうか?」と質問した。
 すると片山大臣は「この記者会見は私が主催しているのではなくて、記者クラブ主催で私は招かれてきているわけだから皆さんでよく話し合って下さい」と責任を放棄した。
 それが確かなのだとしたら、原口は越権行為をしたことになり、記者クラブはなにゆえそれに対して抵抗しなかったのか、いや抵抗したからこそ原口は菅直人によって追い払われて記者クラブの思うように自治省出身の片山がやってきて、実に霞ヶ関の人間が大の得意とするところの論理でもってフリーの記者には何も前向きに対処しないという方法を取っていたのだろうか。
 私は今ここまで書いて、はらわたが煮えくりかえる思いで一杯だ。政権交代がこれまでの因習を取り払って本来あるべき民主政治そのものとなるのだろうと、心の底から喜んでいたものがたったこれだけの期間で、あの霞ヶ関官僚達の思い通りに骨抜きにされていることの象徴を見るようだ。菅直人宮台真司との話の中で「私も一生懸命やっている」だなんぞと、まるで学級委員のような言葉を使っているのを見て、ようやく眼が覚めた。菅直人を中心とする霞ヶ関官僚の操り人形に成り下がった傀儡政権はもはや用なしである。
 この総務省記者クラブは昨日の午後臨時総会を開き(記者クラブはもめ事が起きるとこうして総会を開いて処分を決するのである)、幹事の一社である共同通信の藤田康文から畠山理仁の携帯電話に連絡があって、その結論は下記の通りだったそうだ。

  • フリーの動画撮影はひき続き認めない。 
  • 記者クラブ問題について繰り返し質問がなされることは極めて遺憾。
  • 議事(記者会見)の円滑な運営に協力いただけない場合は記者会見への参加を認めない。

 質問権のないオブザーバー資格の撤廃については総会で議論さえしなかったという。
 つまり、記者クラブに属しているマスコミ各社は総務省記者クラブはこれまで通り、フリーの記者は入れるけれど、質問する権利はなく、動画配信するなんてもってのほかであり、これ以上この問題を取り上げるというのであるならば、追い出すぞ、という立場を取ったということである。
 これは総務省記者クラブだけの問題ではなくて、日本全国に及ぶ問題であり、既成のマスコミ媒体がなにゆえ公たる機関が持つ情報を独占して良いのか、という問題である。
 そして、これは旧自民党体制を支えてきた既得権益を握る者どもと私たちひとりひとりの市民との対決でもある。私たちはこの事態を軽んじてはならない。
 新聞各紙(スポーツ新聞も含む)、放送媒体各局はこの事態について報道することは一切ないだろうことは確信が持てる。私たちはこのままいつまでも国家の礎を既得利権の上にあぐらをかいているナベツネのような存在に牛耳られたまま、この国を孫子の代に渡していくのだろうか。それでは余りにも無責任ではないだろうか。
 畠山は来週火曜日の総務大臣記者会見でも敢えて動画配信をする積もりのようだ。こういう事態になると「決められたルールを守らない奴がいけない」という論理を振り回す人が必ずいる。そのルールは一体誰が決めたのかといったら、フリーのジャーナリストを入れない場で既得権益を掴んでいるメンバーが決めたものだということを把握しなくてはならない。
 これまで各省庁にある記者クラブについて何らその存在について振り返ることをしなかったわれわれにも責任はある。だからこそ今こそこれを変えなくてはならない。