ほぼ足りてまだ欲 その先

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映画『ミツバチの羽音と地球の回転』

 池袋の立教大学で鎌仲ひとみ監督作品「ミツバチの羽音と地球の回転」の上映、そして監督、山戸孝(映画に登場する祝島住民)、飯田哲也(ISEP 環境エネルギー政策研究所)が同席してのトークがあった。
 この映画の話はtwitterでも聴いていた話なので、状況はわかっていたけれど、一度は見たかった。2月19日から渋谷ユーロスペースでの上映が決定しているのだそうだ。
 中国電力山口県の上関に建設を予定している原子力発電所山口県知事が埋め立てに同意してしまったので、計画以来27年を経過していながら建設を前進させる方向に未だにいる。
 それでなくても放射線廃棄物の処理すら目処が立たない中での原発の推進政策を変えるつもりもなさそうなエネ庁の考えは余りにも無責任であるし、あまりにも頑迷で驚くほどであることはいうまでもない。八ッ場ダム原発も同じ霞ヶ関の頑迷さと、儲かるならばこの国の将来も売り飛ばす企業倫理の上に成り立っている。
 この映画はスウェーデンまで出掛けていって同国のサステイナブル・エナジー政策を紹介するが、電力供給の独占政策とマルチプル供給者方式との基本的、かつ根本的な政策の違いは大きい。
 何事も中央集権でなくては我慢ができないのがこの国の官僚思想であるらしく、それは明治革命から一歩も前進していない。そして原発に関するマスコミの報道は一重に電力会社と電気事業連合会がそれぞれにとって大変に大きなスポンサーであるという点で殆ど否定的な報道が決してなされることがないという点に大きな問題点があることはいうまでもない。だから、どんな事故が起きようとそれが周辺市民への脅威になるというような報道は決してなされることはない、ということを認識しておかなくてはならない。
 切り口としてはなかなかはっきりしていて説得力のある構成となっている映画ではあるけれど、いくつか気になる点がないわけではない。
 例えば、風力発電の良さをスウェーデンの取材を通して描き出してみるのはよいけれど、あの風切り音の問題、低周波の問題、鳥への被害の問題というものについては語られていないという点。人口密度の低い地域では有効であっても、日本のように人口密度が高い地域で、なかなか難しいこと。

 それにしても、スウェーデンで、取材に答えてくれる人びとの殆どが平気で英語で受け答えすることは大変なことだ。日本では全く考えられない。そういう点でも北欧の人びとはコミュニケートの点でバリアフリーだ。そういえば通りかかったほぼ同年代と覚しき女性に、その地域のことを英語でお伺いしたら、そのままなんの抵抗もなくお返事戴いたことを考えると、英語教育が早いうちからなされているとはいえ、不思議だといえば不思議である。日常的に英語を使い続けていないと、使えなくなってくる日本の環境とどこが違うのだろうか。とても不思議なことだ。