震災以後はじめて新宿へ行った。2回行くチャンスがあったのだけれど、行く先が高層ビルの7階で、もしなにかがあったらと思うととても足が向かなかったというのが正直なところで、3月24日は出ようかなぁと思っているところに余震がきたこともあって、準備してはいたのだけれど、びびってしまって行く気が萎えてしまった。それでも講師の方はキチンとやってきてレクチャーをしておられたというのだから、なんとも言い訳はできない。しかし、それとて自分の判断だから仕方がない。
今日の保阪正康の話の中で気になった点。
真珠湾攻撃の時の司令官、淵田美津雄は戦後、クリスチャンとなり、アメリカでキリスト教の布教に従事したが、そのきっかけはなにかと云えば、戦後アメリカ人の女性が奉仕する姿に胸を打たれ、なにゆえ戦争の敵である日本人にそれほど良くしてくれるのかと聴いたら、戦争を仕掛けた日本人は何をしているのかわかっていなかったからなのであって、日本人自身が悪いのではないという話を聴いたからだという。
この話を引き合いにして、保阪正康は周りにクリスチャンがいるのだけれど、この話は感動と云うよりも米国人の傲慢さの裏返しだと云った。この場の参加者の平均年齢は私以上だから、敢えて説明をしようと思わなかったけれど、これは保阪正康のストレート解釈は間違い。この米国人クリスチャン女性の話は、イエス・キリストが十字架の上で、呟いた「父よ、彼等をお赦し下さい。自分が何をしているのか知らないのです」からきていることに気がついておられないと云うだけだろう。
今日の保阪正康の指摘。
日本がアジア太平洋戦争で開戦に至ってしまった時の政府はどの様な決定機関が機能していたのかといったら、それは大本営政府連絡会議だった。参謀総長、軍令部総長、陸軍大臣、海軍大臣、内閣総理大臣、外務大臣、企画院総裁、大蔵大臣、参謀次長、軍令部次長等僅か12-3名の人間がこれを決したが、中でも東條英機が総理大臣と陸軍大臣を兼ねていた。こうした時にこうしたメンバーが偶々決定権を握っていたことの恐ろしさというものがあるけれど、これが今まさに災害と人災の重なる現時点でも同じように現政権が遭遇していることの残念無念な状況があると。雑誌かなにかの企画での鼎談で出た話のようだ。近々どこかの雑誌に掲載されることだろう。
彼が私の指摘と同じところを指摘していて笑ったのは、菅直人にしても、枝野幸夫にしても、演説の中にやたらと「しっかりと」や「キチンと」ということばが挟まるところがまさに信頼に足らないという点。これは社民党の福島瑞穂や阿部知子もまさに同じである。
今日の保阪正康の話で知って入手した本。
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新宿西口側は節電のために動く歩道も全面ストップしているのだけれど、その表示の文章に大いなる違和感。これはどなたの発想なるか。
「厳しい」って・・・。
神保町に出て天丼神田家(元はといえば「いもや」の一軒)で天丼を食べた。素早い調理と丁寧な応対なんだけれど、600円なんだからこれで良しとしなくてはならないというもの。今時600円の天丼なんて滅多にないぞ。
今日は9,300歩。