東電を叩けばこの事態が解決するのか、といったら決してそんなことはない。この事態を解決することはひょっとしたらできないかも知れない。解決できないとしたらどうなるのか。私達は逃げるしかない。
これまで原子力発電を推進してきた電力会社、建設会社、支えてきた霞ヶ関、自民党はそれぞれ廃棄物を持ちこみそれを処理する方策が見つからないまま、「いつの日にかどうにかなる」あるいは「どうにもならなくてもどうせ俺はすぐにこの世からおさらばだ」と思い、懐に入れるものをどんどん入れてきたわけだ。
それがこの期におよんでどうにもならないということが明白になり、札束で現地住民のホッペタをはたいて、はたいてここまで来たけれど、それだけじゃ終わらなくなった。
原発建設予定地に「原発反対」を旗印に他地域からも集まってきた人たちに、直接関係ないから口を出すなと云わんばかりの対応を取ってきたのが電力会社であり、自治体であり、それに使われた警備会社であり、時には官憲であった。今、デモに加わって歩いていても、警察は通常の交通に支障が出るから速く歩け、早く行けと妨害している。デモなんてものはそういう状況をつくる結果になってもしょうがない示威行為だ。極論からすると一車線潰してしまうわけだから。
だから、これまでの東電役員経験者、通産省の役人及び退職者、原発建設メーカー、自民党国会議員、及びその経験者は私財の拠出をする義務がある。なぜならその私財は無責任な活動から創り出したものだからだ。私有財産とはいえ、それらは極端なことをいうと他人の私有財産を侵害して創り出してきたものだからだ。
そうでないと、なんとも割り切りがつかない。「いやいや、それは済まなかった、いやぁ,前向きに考えさせて貰いますよ」だなんて上から目線でいっているような場合と、場合が違っている。
それはいくら何でも極端だよという声が出るだろうことは良くわかる。そんなことを法治国家として許されるわけはないというんだろう。
これを合法的収奪という。その時点での法にかなっていれば何をしても良いのかといったら、そんなことはない。それでは人間の人間たる存在価値がない。それもまた法の奴隷のひとつでしかない。品性下劣というしかない。下劣でも金さえ儲かればよいという輩でないと企業のトップには登ることができないということなんだろうか。
地震で崩れ落ちた私の本棚からこんな本があるのが見つかった。1988年に出版された別冊宝島81号の文庫版だ。
決定版 原発大論争! 電力会社vs反原発派 (宝島SUGOI文庫 ) (宝島社文庫)
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宝島はこのあとにも2007年にこんなものを出してもいる。それにしてもこの本を一つ星に評価しているのは誰だか知らないが足跡を辿ると原発否定派の本を扱き下ろし、礼賛派の本を五星にしている分かり易い体制派の人間であるらしい。何をどうひっくり返したって、原発を最低限動かすことが必要だといっている菅直人政権の論理は否定されるべきものである。
改訂版 これから起こる原発事故〜原発問題の専門家から警告 (別冊宝島) (別冊宝島1469)
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