ほぼ足りてまだ欲 その先

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渡辺謙 後編

 「渡辺謙アメリカを行く・9.11テロに立ち向かった日系人・後編」を見た。昨日の前編に引き続いて、元運輸長官だったノーマン・ミネタの自叙伝のような番組になっているんだなというのが見たあとの感想だ。渡辺謙はミネタと一緒に行った雪のないワイオミングのハートマウンテインだけではわからないと、真冬のハートマウンテインに行く。気温は-25℃。体感温度は-33℃と書いてある。冬のワイオミングだからねぇ。
 そこでもかつてLos Angelesに暮らしていたけれど、ハートマウンテインに収容され、戦後そのまま収容所近くに留まって電気も水道もない小屋暮らしだったという77歳の女性にインタビューした。父親は失意のまま50代で他界したという。渡辺謙はここで、「ハートマウンテイン文藝」を紐解く。ガリ版で刷られた文集だ。その中から豆腐に自らの人生をなぞらえた詩を読む。著者名は漢字で「摩うん(漢字を失念)天居士」としてあった。
 マンザナー・キャンプ跡地にイスラム系と日系のこどもたちを一緒に連れていって互いを知ることを教える。ミネタはアメリカはタペストリーだという。一本一本のyarnがそれぞれしっかりしたもので、それが編まれて素晴らしいタペストリーになっていると。彼等は子どもたちに、互いをよく知ることが恐怖を取り去ることになるんだという。全く同意だ。知らないから憶測で判断しようとする。だから噂をする。噂は誤解の温床だ。まるでアスパラガスがその時が来るとあっという間に伸びるのと同じようにあっという間に誤解の額縁で権威づけられてしまう。そしてそこにそれを煽る輩が幅をきかせる。知ることの重要性はそこにある。
 キャピタルヒルの一室に歴代の運輸長官の肖像画が掲げられている。ミネタの肖像画には後ろにハートマウンテンの山の下にバラック替えがから、少年時代のノーマン・ミネタが両親と一緒に描かれている。これが残る以上、必ず後年に「あれはなんだ?」と関心を寄せてくれる人が現れるだろうというのである。
 もう一度日系アメリカ人の文献を読み進めていこうかという気にさせてくれた番組だった。
 渡辺謙のMacBookProのパッド右にくっついているのはなんだ?(またいっている)。