ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

西村伊作

 新宿の帰りに丸ノ内線に乗ってきたので、赤坂見附で銀座線に乗り換え、銀座に出た。丸ノ内線でそのまま乗ってくればよいのだけれど、5丁目に用事があったので、できるだけ近いところまで楽をしようという方針だけれど、丸ノ内線の方が空いていて座れた。
 まるで真夏のような陽ざしが暑くて、外は歩くのが辛い。AOKIと青山の安いスーツ屋に入って安いジャケットを捜すも見つからず。INAX・ギャラリーの前を通りかかると大阪・名古屋を巡ってきた「愉快な家−西村伊作の建築 − 展」をやっていると掲示が出ていたので、さっそくあがる。先日の「凝縮の美学 名車模型のモデラーたち 展」とは違って今回は写真撮影禁止ということだったので、冊子を購入。
 西村伊作文化学院の創設者だけれど、新宮の出だそうで、新宮に3軒の自宅を建てたそうだ。彼のスケッチブックが残されているけれど、この中身も相当に面白い。一頁、一頁を繰って眺めたら相当に楽しめそうである。
 文化学院というのは戦争中に軍隊に接収された。この展示ではただ単に「連合国兵士捕虜の収容施設となった」というような表現がされていたかと思うが、実は対敵宣撫放送、即ちプロパガンダ放送に従事した捕虜達の施設となり、ここに例の「ゼロアワー」に関わった捕虜達がいた。ここに最初に建てられた校舎は震災で焼失したが、軽井沢に復元されているということである。地図を見ると私が行くと必ず一度は通り過ぎているあたりから近い。次回にはたずねてみよう。
 西村伊作は倉敷に倉敷教会を残している。この辺のところがウィリアム・メレル・ヴォーリズの匂いがするところでもあるけれど、まさに同時代を生きた二人であり、実は元々この教会はヴォーリズに発注していたものを違約金を払ってチャラにして、西村伊作に発注したと書かれていて、思わずなるほどと面白く思った。この教会を起こしたのは林源十郎という薬商人だけれど、彼は大原孫三郎などとともに石井十次の児童福祉事業の支援者だった人である。この時代の人たちは本当に良くいろいろなところで活躍をする。
 西村伊作の建物はアーリーアメリカンの色がとても濃いという印象である。入手した冊子も隅から隅までとても面白い。

愉快な家 西村伊作の建築 (INAX BOOKLET)

愉快な家 西村伊作の建築 (INAX BOOKLET)