ほぼ足りてまだ欲 その先

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良く聴いて

 ゆっくり聴いてから考える。野田佳彦は2005年10月に「靖国神社に合祀されたA級戦犯戦争犯罪者ではない」と発言していたという報道がある。先日のやしきたかじんの「そこまでやって委員会」での武田邦彦の発言がほんの一つ二つの言葉を取り上げて非難されたりしている最近の風潮を見ていると、これも前後の発言をすべて見てみないと、マスコミの取り上げ方だけで判断しているとえらい目に遭いかねない。

[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011年08月30日08時38分]によれば

 野田氏は当時の小泉純一郎が国会の答弁で日本国内に戦犯が存在するような発言をすると、質問書を送って激しく抗議した。質問書で野田氏は「刑が終了すれば戦犯の罪が消滅するのが近代法の精神」「サンフランシスコ講和条約と国会決議を通して戦犯の名誉はすべて回復した」と主張した。また「首相の靖国参拝をめぐり論議するのはA級戦犯と呼ばれる人たちに対する人権侵害」と発言

 と報じられている。
 野田佳彦は先月の15日にやはりこの主張を繰り返したということだ。
2005年の質問趣意書についてはJ-castニュースがキチンと説明をしてくれている。
かなり長いけれど、引用しておく。(こちら

 野田氏が自身の靖国神社への立場を公に披露したのは、05年10月に提出した「『戦犯』に対する認識と内閣総理大臣靖国神社参拝に関する質問主意書」。主意書では、小泉純一郎首相(当時)が靖国神社に参拝した際に、「A級戦犯」を「戦争犯罪人」だとの認識を示したことについて、

「小泉総理が『A級戦犯』を戦争犯罪人と認めるかぎり、総理の靖国神社参拝の目的が平和の希求であったとしても、戦争犯罪人が合祀されている靖国神社への参拝自体を軍国主義の美化とみなす論理を反駁はできない」と、小泉氏の論理展開では他国からの批判の余地が残ってしまうことを指摘。
 その上で、サンフランシスコ平和条約や国会決議でA・B・C級ともに戦犯の名誉は法的に回復されていると主張。
 「『A級戦犯』と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではないのであって、戦争犯罪人が合祀されていることを理由に内閣総理大臣靖国神社参拝に反対する論理はすでに破綻していると解釈できる」と、首相の靖国参拝に問題はないとの考えを打ち出した。
とくに、A級戦犯として有罪判決を受けた人の何人かは刑期途中で赦免・釈放され、名誉が回復された結果としてのちに入閣を果たしたことを重視。彼らの名誉が回復されているとすれば、同じ「A級戦犯」として死刑判決を受け絞首刑となった東條英機元首相以下7名らもまた名誉を回復しているはずとし、「仮にそうではなく、名誉が回復されていないとするならば、日本国は犯罪人を大臣に任命し、また勲章を与えたということになるが、政府はこれをいかに解釈するか」
と、政府の見解をただしてもいる。
これに対し、小泉首相による答弁書は、
「お尋ねの『名誉』及び『回復』の内容が必ずしも明らかではなく、一概にお答えすることは困難である」と前置きしつつ、名誉回復した人は連合国最高司令部による恩典や平和条約による刑の赦免に関する法律などで仮出所、刑の軽減が行われたが、死刑判決を受け絞首刑になった7人らは「いずれの制度の手続きもとられていない」などと違いを指摘、「我が国としては平和条約十一条により、極東国際軍事裁判所の裁判を受諾している」「同裁判について異議を述べる立場にない」と政府の立場を淡々と説明している。

 なんだかまるで立場が反対な、それぞれの主張のようで、 この議論はいつの時代に誰によってなされてきたのか、もう一度辺りを見回してみたい心境に駆られるではないか。
  保坂正康がこの発言を取り上げて論評しなかったら、私は野田佳彦のこのスタンスを知ることはなかったかも知れない。小泉がいうようにサンフランシスコ講和条約吉田茂が署名をしたことによって極東国際軍事裁判(通称東京裁判)の結果をわが国は受容したことは明白だ。野田の論理はある意味で、戦後の占領期を脱するやいなや何もかも旧に復すことに血道を上げてきた保守勢力に対するアンチテーゼとして捉えれば良いという見解は如何?