ほぼ足りてまだ欲 その先

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参拝

 靖國神社への参拝と、氏神様への参拝とは訳が違う。本来的に日本はアメニズムだったから八百万の神を奉り感謝し、願い事をしてきたというのは私にもおおよその雰囲気として理解ができる。なにしろついこの前までは神社で二例二拍手一礼してきたから。
 靖国神社という神社は本来的には神社ではない。というのはへンだけれど、本来的には戊辰戦争以来の官軍の兵を慰めるための東京招魂社という施設だった。それをいつの間にか旧日本軍の将兵を祀る神社ということになった。だから今や祭神は240数万柱に及ぶのだそうだ。この中には職業軍人だけでなく徴兵された人たちの犠牲者が皆はいっていることになっているけれど、こぼれ落ちている人たちもいる。とにかく旧日本軍の将兵で戦争で死んだ人たちも入っている。
 問題は「極東国際軍事裁判等の軍事裁判によりA級戦犯BC級戦犯であるかないかに関わらず死刑になった者等。つまり日本政府が「法務死者」とし、靖国神社では「昭和殉難者」と呼称している人たち」がはいっていること。「英霊」として祀られている太平洋戦争で戦死した(勿論病死とか、餓死した人たちもここでは戦病死)ひとたちがその死に至る過程を作り出した要因を負うべき人々も一緒に「英霊」として祀られていることへの抵抗感は少なからずある。
 しかし、これを肯定する人たちは彼ら戦犯は勝手に連合軍によって決めつけられ、貼られたたラベルであって、そのラベルを否定する。つまり、あの戦争は動機としては正しいものであって、一方的に断罪されるべきことではないのだ、というスタンスに立つ。
 しかし、これは国際的には受け入れられるべき解釈ではない。それでは一方的に(彼らは合意のもとだというが)併合されてしまった朝鮮半島や、五族協和という一方的なスローガンを掲げて侵略していった満州傀儡国家の設立、東南アジアを片っ端から侵略していったことを正しいことだと肯定することになる。これを肯定する理由として、アジアの宗主国からの解放を上げるのだけれど、それでは満州朝鮮半島に対する侵略を正当化することはできない。
 私のような太平洋戦争直後に生まれた世代にはそれでも戦争によってなにが起きたのか、なにが隠されていて、なにがその後暴露されたのかが大きな印象となって育ってきたけれど、今や、そんなことは70年以上経って、すっかり薄められてきている。
 その上、「なにがいけなかったというのか!?」という居直りがどんどん勢力をひろげてきた。
 驚くのは40、50代、つまりアラフィフ世代でもことさらこの日に「靖国神社に参拝して感謝を伝えてきた」という人たちが私の周りに何人もいることだ。彼らは一体誰に感謝しているのか。あそこで一体誰になにを感謝するのか。遺体のかけらも帰ってくることはなかったけれど、今日の私のために命を落としてくれた人たちに、私は大変申し訳なかったと謝り、もうそんな犠牲を払うことが起きないような社会を作りたいとおつたえしたいとは思う。しかし、「相手に捕まるような恥ずかしいことになるくらいなら自分で死んでしまえ」と宣言したとか、「家族を守るために、もう勝てない戦だけれど、少しでも長引かせるために、死ね」と促し、「軍のためである、そのうるさい子どもを黙らせろ」といったり、「逃げずに空襲火災を消せ」と結果的に自国民を見殺しにしてきた連中に頭を下げたくはない。ましてや軍属ということになっていてろくなことをやっていなかった有象無象がぞろぞろ居並んでいるところに出向いていって、頭を下げる気には到底ならないのだ。