ほぼ足りてまだ欲 その先

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誰が悪いのか

 団塊の世代(私の世代)に対して、若い世代が「美味しいところを全部持っていって好き放題」という捉え方がされている雰囲気をtwitterからも感じる。自分達だけ年金をしっかり貰っていて、若い世代から吸い上げている、というもののようだ。
 団塊の世代にいわせると、冗談じゃない、俺たちはこれまで一生懸命積み上げてきたんだ、そういう約束だったんだ、それを今になってお前達だけ良いとこどりだといわれるのはとんでもない話だ、と思っている。
 それはなんでかというと、自分達は積み上げてきたと思っているからだ。ところが今の若い世代はあいつらが手にしているのは現実的には若い世代が今取り上げられている金なんだと思っている。
 じゃ、このすれ違いはどこから産み出されてきてしまったというのだろうかといえば、財政投融資という名目でもってこの辺の財源をがっぱがっぱと使い果たしてしまった霞ヶ関にある。じゃ、それはどこに使われたのかと云ったら、あのバブル期に様々なハードやソフトに大盤振る舞いをしたことにある。東京湾の横断道路だとか、本州と四国の橋だとか「みんなもっと遊ばなきゃいけない」とアメリカにいわれて造ったレジャー施設だとか器ばっかりで中身の伴わない施設だとかが日本中に造られた。挙げ句の果てにバブルがはじけて無に帰したものも少なくないどころか枚挙にいとまがない。
 霞ヶ関もその気になったけれど、それを焚きつけたのは誰かといったらいわゆる財界だろう。そしてその美味しい眼も見たし、その後の零落も経験したものがいくらもいた。
 そんなことは今の若い世代にとってはなんにも恩恵がない。聴いたことはあるけれど、そのバブルってのがどんなことだったのか、判っちゃいない。だからこの期になってもあの頃の約束通り貰っている連中は許せない、となるわけだ。
 厳密に言うと、私達の歳から数年の間のいわゆる団塊の世代は約束通りに積み立てが回収できるわけではない。どんどん支給開始年次は遅らされてきたので、当時の約束からは5年遅れていた。年ごとに遅れていくことになっている。その上の年次が一番約束通りの回収ができている。しかし、彼らの年次には分かり易い呼称はない。


 根本的なところから老齢年金を見直すしかない。積み立て方式が崩壊してしまったことを明確に認めて、税負担に持っていくしかない。その過渡期にはそれまで年金保険料を納めていなかった人の処遇をどうするかという点に大きな問題が起きる。
 これまで納めた年金保険料を全員に払い戻して、全員納税方式にするということが現実にできるのか。 それができればいいだろうけれど、そうでなかったら払った人と払わなかった人との間に不公平が生じることになる。