ほぼ足りてまだ欲 その先

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年寄りぶる

 私はずいぶん昔から「早く年寄りになりたい」と思ってきた。年寄りというのは様々なものが似合うからなんだけれど、その様々なものの中には身につけるものだったり、動作に表すものだったりするのだけれど、若造には似合わない態度なんていうものもある。丁寧にいっておいて、気がついたらその場を牛耳っていた、なんていう行動もそれができたりしたら格好良いのだ、なんて思ってもいたものだ。
 だもんだからなんでも「形から入る」私としてはずいぶん昔から浅田次郎じゃあるまいにソフトを被っていた。浅田次郎がいくつの頃からあぁした帽子を被っていたのか、私は知らないけれど。自慢じゃないが杖だって、必要のない頃入手したものがなぜか2-3本玄関の収納に入っているはずだ。そのうち使おうかと思っていたのだけれど、使うチャンスが未だ見つからない。幸い一昨年の冬に京都の西本願寺に上がった時に、あの広い廊下で膝をついたら、あれからずっとその右膝が痛くなってきて、そろそろチャンスが巡ってきたのかも知れない。人が集まるところに行ってみると歳上だという状況が多くなってきた。そうなるとどことなく残念な気がしてくるのかと思ったら、そんなことはなくて、結構嬉しい。
 二つ目の噺家に「お父さん!」と声を掛けられるのはあんまり面白くない。「お前、そこはお兄さんだろ?!」といってやりたくなる。なんだ、これじゃ普通だよ。普通じゃいやなのか。いやそんなことはないけれど。
 やっぱり歳をとってくると誰も彼も、自分は特別扱い受けて何がおかしいんだ、といい出す奴がいるのがいやだな。先日も銀座の伊東屋で「これと同じものはないのか?」と店員にたずね、その店員が在庫を倉庫に問い合わせていると、それでも「ないのか?」と訊ねている。「只今問い合わせておりますので少々お待ち下さい」といっているんだけれど、お待ち戴けない。
 良く考えたら、あの老人はもう耳が遠いのかも知れない。そうした面倒なことが歳をとると次々に起きてくる。しかし、若い人にはそんなことは想像できない。だから、「なんだよ、しつこい客だなぁ」と嫌になる。
 年寄りは若者を慮り、若者は年寄りを慮る必要があるんだよとここまで書いてきて、あ、そうじゃないや、人は人を慮ろうということだったと気がつく。
 もう一度考え直そう。