ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

得か損か

 すごく単純にものを考える。
 尖閣諸島は歴史を振り返ると誰も何もどうだこうだとはいわずに来たのだけれど、日本人がここを拠点にして漁をすると便利だという事から始まって日本人が永いこと出稼ぎ拠点として使ってきた。海産物の収穫がそこまで遠路はるばる海を越えてやってきた日本人の得となった。つまり、魚が捕れなければ日本人が来るわけはなかった。
 今中国が「これは中国領土だ」と主張しているのはガス田として東シナ海が考えられるんだということになってからのことだ。つまり、天然ガスというエネルギー資源があるとわかったからで、これがわからない頃は中国人はなんの興味も示さなかった。
 日本、韓国、中国がこの海域でそれぞれ主張している「領海」という概念は昔は「誰のもの」という概念はなかった。地球民全体のもので、俺が通っても良いし、あいつが通っても良いし、こいつが魚を釣っても良いし、みんなのものだった。それをなんでそんなことを言い出したのかといったらやっぱり資源としての海産物がそれまで誰も興味を示さなかったときには誰が採っても良いものだったのに、それを採ったら買う奴がいて、現金になるとわかった途端に「俺のだ、俺のだ」ということになった。
 なんで大飯原子力発電所の3-4号機を再起動(あ、いけない、野田佳彦の言葉に振り回された)再稼働しなくてはならないのか。
 なぜ、福井県の西川一誠知事は大飯原発の再稼働のために国民に向けて野田が演説するようにと要望したのだろうか。
 西川の主張はよくわかる。原発が動かないと地元に金が落ちないからである。良く「理解して貰いたい」という言い方をするが、「理解」というのは理屈がわかる、ということであって、それは原発の再稼働に反対か、賛成かということとは全く次元が違う。
 西川は廃棄物処理方法が未だに見つからないだけじゃなくて、その廃棄物がそのままでは地球上の生物すべての命を奪い、地球そのものをぶち壊しかねないという原子力発電所というシステムの可否には全く関係なく、金をもらえるか、その発電所で働く人を雇ってもらえるか、という観点だけで「損と得」を計算するという近視眼的な視野しか持っていないということなのだ。
 「損と得」の計算だけで世の中を動かそう、世の中を評価しようとする人たちはその「損と得」のスケールから逸脱することができない。つまり、自分で主張した考えの枠からはとても飛び出すことができない。
 中国は尖閣諸島を「俺のだ!」と宣言することによって未来永劫の「得」を手に入れることができると思っている。しかし、それによってより近隣との確執を高め長引かせる。彼らはそれをわかっていてもやり続ければ大きな「得」が転がり込むと思っている。しかし、それは以外に短期間で異なる価値観に取って代わられる可能性が高い。しかし、同じ事が日本にも適用できる。今まであの島のことを誰が振り返っただろうか。中国が「これは俺のだ」と言い出してからのことだ。
 西川一誠福井県知事は目の前の金に目が眩んでいるけれど、それは本来的な政治家がやることじゃない。本来の政治家は将来のこの国を視野に入れて考えるだろう。しかし、今のこの国にはそんな視野を持っている人間が政権を担当していない。それが最大の不幸なんだけれど、これは国民が間違ってしまったわけではない。国民は新たな期待を持って政党を選んだのに、その政党が選んだ国民を裏切ったのだ。こうなるとこれはもう犯罪だ。