ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

外出

 昨日は久しぶりに外出。外出とはうまい言葉で「外に出る」と書いてある。これが今やなかなかできない。出る理由がない。家にいるとやることがどんどんある。といってもネットで検索してあれはどうだ、これはどうだという奴で、現場に足を運んでいない。これでは本当のところがわからない。
 一週間空けてしまって新宿に行く。むっとする湿気を感じる朝だった。二週間前と同じ弁当をコンビニで買ってしまう。何種類もある弁当の中からまたよりによって同じ弁当を買うのか。揚げ物はいやだ、鮭弁当は嫌だといっているうちに到達してしまうのかも知れない。中華風野菜うま煮弁当だった。500円也。
 唄は「Ev'rytime We Say Goodbye」だった。8月中お休みをしておられた方々が9月になって帰ってきたようで、一気に人数が復活。しかもこの曲はスローなので順番的に最後だった私が立った時にはもう既に時間を超えていた。いつもだったら無理矢理Verseを唄うのに、昨日は自重した。それは多少自信がなかったからでもある。来週は唄って自分のものにしたい。
 多少誤魔化して唄うと、レクチャラーの方がそれをしっかり指摘してくるので勉強になることは確実なのだけれど、ゴルフのフォームを直されているようで、あっちもこっちも気になってきて、ゆったりと唄っていられないという傾向にある。これを自分のものにするのには歌い込む必要があるのだけれど、そんなチャンスは滅多にない。自分のkeyで書かれた譜面を作らなくてはならないのだけれど、それができない。音楽理論で高校受験を失敗したこの私にそんなことができるわけがない。みなさん、唄うところでさっとお出しになる譜面をどうやってお書きになっているのだろうか。
 本屋に寄ってみると文庫本の棚に『鶴見俊輔コレクション(1)「思想をつむぐ人たち」黒川創編』なるものがあった。河出書房新社から出るとは思わなかったけれど、「不逞老人」が確か河出だった。コレクションとあり、(1)とあるのだから、これから続々と出るのだろうか。少なくとも来月には(2)が出るらしいことはわかっている。膨大な量になってしまうのではないのか。鶴見俊輔の著作はなかなか滅多に古本屋の店頭でもお目に掛からないので、全部に目を通し切れていないのだけれど、相当な量に達するはずだ。この編纂作業も相当なエネルギーを使いそうだけれど、黒川創は楽しんでやっているのではないか。

 友人たちが銀座TACTでパーティーをやっていたので遊びに行く。今日はその友人がもう何年も続けている異業種交流会の一環なんだそうで、見慣れない会社帰りの人たちで溢れている。最初に若いというより幼い女の子5人組が出てきて唄い、踊る。タータンチェックの衣装でユニゾンで唄い踊る。要するに柳の下のドジョウの類なんだけれど、今からこんなプロデュースをして売れると思うのだろうか。芸能界というのはそんなに美味しい世界なのか。あの儲け方を見ていると、あんなことまでやって稼いでも良いのかと一儲けしたいと思ってしまうものなんだろうか。幼気ない少女たちが挨拶して廻っているのを見ていると思わず脱力する。
 一曲歌わせて貰った。感謝。