ほぼ足りてまだ欲 その先

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大学は誰のものか

 例の田中真紀子による認可騒動がきっかけとなって日本の高等教育システムについての議論になるとこれは思いも掛けない良い状況が起きることになるのではないかと密かに期待しているのだけれど、これは多分マスコミが一役買うところまでは行かないのではないかという気がする。それはなぜかというと、今や大学による広告というものも以前とは比べものにならないからだ。マスコミ離れが進むと同時にこの長期安定的不況の中、マスコミの広告料が下がってきていることにも依るのだろう。中には野球場での広告すらしている大学すらあるくらいだ。
 2001年にわが母校の学部では社会人経験を持つ学生を中心に「ウラシラバス」というものを発行していた。各授業を受講した学生達にアンケートを出して貰って翌年の学生が授業をとる時の参考にして貰おうという意図からだった。その編集後記で「一体大学は誰のものか」という記事を書いた。今でもこの疑問に対する答えは出ていない。
 学生が大学の中心人物なのか、といったらこれは多分違っているだろう。というのは彼らは4年間くらいしかいない。4年といったらあっという間に過ぎ去ってしまう。しかも彼らは大学運営に関与することができない。常に受け身だ。こんな授業が欲しいといっても彼らには何もできない。じゃ、教える立場の教員が中心かといったら授業に関してはともかく、施設や設備に関しては大した力を発揮するわけではない。というのは既にできているからだ。その改善要求はするだろう。ということは職員のものか。いやいや、今や職員もかなりの部分が非正規職員に振り替わっているぞ。ということはどんなに大きな大学でも、そして小さな大学ならもちろん、一部の職員、つまり経営メンバーのものだ、ということになるわけで、これはもう株式会社のそれとどこが違うんだよ、ということになる。
 では、教育機関に重要なのは一体何だろうか。