ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

秩父食堂

 私のサラリーマン生活の三分の一は工場にいた。最初は70年代の前半。このときの昼飯は工場の弁当を毎日食べていた。新婚の半年ほどは弁当を持っていった。それから工場が契約している給食会社の弁当だったのだけれど、これは安いからヴァリエーションがない。二週間も過ぎれば概ねレパートリーの限界を見ることができる。だから、すぐに飽きるわけ。でも、いくらしょっちゅう出るといっても、太刀魚の塩焼きはあまりといえばあまりの登板回数だった。今の歳になってみると、なかなかオツなんだけれど、若さむんむんのあの頃は「いい加減にしろ」と思うほどの登板回数にめげた。
 東京に異動になってからは会社の地下に食堂があって、安いという理由に加えて昼休み時間がなぜか45分しきゃないという会社だったものだから、ほとんど外に食事に出ることはなかった。偶に隣のホテルの地下にカレーを食べに行こうというのは誰かが異動になったとか、地方の工場から誰かが出てきたとか、そんな時くらいだった。
 そこから隣の県の工場に移った時はやっぱり工場の弁当しか選択肢がなかったのだけれど、しょっちゅう外に出ていたから(そんな事務所まで帰るのが面倒だった)、弁当は申し込んでも欠食届けを頻繁に出すのが面倒なだけで、すぐに止めた。代わりは何かというと、工場の一角にあるうどん食堂である。現場の人たちも一緒なので、なんだかごった煮のような気になる食堂で、それぞれ食券を手にうどんの窓口に並ぶのである。まるで戦後の外食券食堂のようで(よく覚えちゃいないけれど)なんとも懐かしい風情を醸し出す。ひょっとするとあの工場は今でもあのままかも知らんなぁ。そんな企業風土だからなぁ。なんでも今の社長は「鋭く追求他人の失敗、笑って誤魔化せ自分の失敗」の実践者らしいから。
 で、門のすぐ外に中華の食堂が一軒といわゆる大衆食堂が一軒あった。その食堂の名前がこんな名前だったような気がする。間違っているかも知れない。昔よくあった、今ではわざわざ懐かしさを醸し出すためにやっている、小皿に載ったおかずが何種類も並べてあって、それをとってご飯と味噌汁を好みをいってよそって貰うという食堂だ。これが一見安そうに見えて、それほどでもない。自分の気持ちとして基本的な、つまり安いと思われるおかずに押さえてようやくまぁ良いかという程度の値段であって、こころの赴くままに頼んでしまうと「あれ?そんなになるのか?」という価格になってしまったりする。あの食堂で、私は安物買いの銭失いを学習したはずだったのに、なんちゅうことはない、逆にそういう習慣が今や身に付いてしまったらしい。
 気を許したら呆れるほどに食べることのできたあの頃が懐かしい。