ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

プライベイトとパブリック

滞在中のリゾートホテルでは浴衣とスリッパでロビーや食堂に出てきてもらっては困ると書いてある。どういうことかというとそこはパブリックなスペースだから寝巻きであるゆかたでふらふらするのはどうよ!?という意味がある。
しかし、翻って考えるとここは温泉ホテルだ。つまりここの滞在客の大半、いやほぼ全ては温泉に入りにきている。日本の温泉というものはすべからく裸で入る。西洋の温泉で裸ではいるのは非常に稀だけれど、ないことはない。例えばハンガリーブダペストにあるゲッレールトの温泉には男女を明確に分離した区画があって、そこではスッポンポンでも、あるいはそこに常備してある越中褌の様な布で覆っても良いとされている。あるいは男女共通区域のように水着でも許されている。しかし、なんでそんなところでわざわざ隠しているんだという雰囲気がないでもない。
ホテルという宿泊施設の形態は勿論わが国のオリジナル文化ではない。明治以降にもたらされたものである。
それまでの日本の宿泊施設では建物の中すべてがプライベイト空間である。だから、部屋にそもそも鍵というものが存在していない。廊下に面して襖で仕切られていただけだ。つまり、玄関のうちと外は心張り棒をかったりして「戸締り」をしたけれど、ここの部屋を「戸締り」するという思想にはない。ある意味では同じ屋根の下にいる人たちは気を許して良い人たちだった。
しかるに西洋の思想はそうではない。つまり、ホテル空間は部屋の外の廊下はもう既に歌舞伎町の通りと同じであり、銀座の中央通りと同じそとのとおりそのものである。だから、しっかり鍵をかって、内側からもロックをして二重に警戒しているし、外の覗き穴だってついている。
私たちの国の温泉文化は他国のそれとは異なっている。だからこの国の温泉を楽しむためにはこの国の文化がふさわしい。
ところで全く話は変わるのだけれど、近来電車の中での女性の化粧であるとか歩きながら食べちゃうカップヌードルなんてのが散見されて顰蹙を買っているし、私も中々気を許すことができず、不愉快極まりなく思っているのだけれど、あれはひょっとすると電車の中や繁華街の通りをパブリックなスペースではなくて、自らのプライベート空間であると理解することしかできない非常に古い日本文化に侵されてしまっているということではないのだろうか。
それでアベシンゾーも「日本を取り戻す」と言い始めているのではないか。つまり彼女たちはアベシンゾーの先兵なのかもしれない。