ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

特報首都圏

 NHKの番組だけれど、こんなタイトルがついているのだから首都圏でしか放送されていないに違いない。この番組は確か金曜日の午後7時半、それまでの4日間が「クローズアップ現代」である。
 昨日の夜中というか、今日の未明に2本一挙再放送があった。そのうちの一本が「それでも私は生きた 〜いま明かされる戦争孤児の実像〜」というものだった。
 戦後しばらくの間、上野の駅の地下通路や西郷さんの銅像近辺には浮浪者や浮浪児が日常的にいたことは私も覚えている。地下道が大きく改装されたのは20年ほど前だろうか。それまでは戦後の雰囲気が残っていて、一杯呑み屋や一膳飯屋が残っていたし、思いもよらない抜け道に日本食堂があった。地下鉄神田駅の須田町通路や銀座駅三原橋が綺麗になってしまった今あの雰囲気が残っているのは銀座線浅草駅の地下くらいしかない。
 コンクリートの地下の隅にはあたかも人から忘れられた妖怪が住んでいてひょいと後ろを振り返るとみんながキャーと言って逃げ出しそうな雰囲気はもうどんどんなくなる。
 それと同時にあの戦後のごく普通に人々がその辺に転がって寝ていた記憶もどこかにすっ飛んでいって、忘れ去られてきた。上野の駅の脇に立っていた聚楽のビルも先日あっと驚くようなガラス張りのビルになってしまって、それまであそこで営業していた人たちは雲散霧消してしまった。
 綺麗になるとかつての忌まわしい戦争の傷跡がすっかり払拭されて、人々の記憶の中からその「戦争」すら消えていくようで、またぞろ平気で徴兵制だ、国防軍だ、天皇陛下万歳!だ、と叫び出すようになる。
 確かに私は幼い頃浮浪児という言葉に軽蔑の意味を感じ取っていた。なんだか知らないけれど、不潔で、その辺にゴロゴロしていて、悪いことをしていそうだというニュアンスだ。自分は学校に行って給食を食べて屈託のない子どもだった。
 彼らは気がついたらあの空襲で親兄弟を失って行き場を失ってそのまま放り出されていた。生きる為に食い物を盗み、雨露を凌ぐ為にその辺で転がって寝た。上野の地下道では飢えと寒さで何人も死んだという。
 確かに自分の食い扶持を確保するだけで必至で、地下道で暮らしている子供たちのことまで気を配る状況でなかったと切って捨てるのは簡単だっただろう。しかし、公機関が彼らを見捨てたことは事実だ。
 番組中で77歳の元中学教師が養護施設にいって自らの過去を話す。まともな生活を送っていたら生き残れなかっただろう。だから本当はあれもこれも思い出したくないだろうことは想像に難くない。必ずしも良いことだけをして生き残った訳じゃないから家族にも話すことができないで来たというし、思い出すことによって自分がその場に戻ってしまって苦しくなると、まさにPTSDを語る。
 こうした記憶を残している人たちも段々少なくなる。その人達が少なくなると戦後生まれの実体験のない人間達が平気で軍隊だ、徴兵だ、暴支膺懲だといい始める。朝鮮半島を植民地にして文化を冒涜したのは事実であるし、満州という傀儡国家を設立したのも事実なのだ。
 あの政策は果たして戦災孤児が生き残る為に闇市で売っていた芋を盗むのと同列に語れるのだろうか。何故戦災孤児は生まれたのか、何故戦争をするに至ったのか、何故私たちは万歳といってあの政策を支持したのか。