ほぼ足りてまだ欲 その先

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実教出版

 今出版会社が観光した高校日本史の教科書を都立、神奈川県立の学校で採用する学校が全くない、という東京新聞の先日の記事のタイトルが「実教「日本史」来年度も都立高ゼロ 教育内容へ介入懸念」だった。ん?どっち?歴史修正主義的な例の教科書のことかと思ったら全く違っていた。

国歌斉唱などに関する注意書きで「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」と記述している。これに対し「教員の責務とする都教委の考え方と異なる」として、都教委は昨年6月、2014年度使用の教科書選定でこの二冊(「高校日本史A」「高校日本史B」)の使用を不適切とする見解を議決。今年6月には、2015年度用選定でも同じ見解を維持することを確認した。(東京新聞2014年8月28日 夕刊)

 ということだった。ご存じのように以前の不良作家が都知事をやっていた時から、東京都教育委員会は公立の学校の式典で国歌を歌っているか、起立しているかを現場でチェックすることを義務づけ、励行していない教員を処分してきている。国歌、国旗が法律で決まっていないで、慣行としてそう扱ってきたものを法律を作った時に、多くの人たちがこうしたやり方を懸念し、時の内閣は「そんなことにはなりません」と答えていたけれど、強制励行を主張した元囲碁だか将棋だかのプロが園遊会天皇に無理に強いるのはいけませんねぇといわれたのを無視してこの始末。
 こうした動きが今の内閣が続くとよりいっそう加速され、教科書会社が売れなくては困るからとどんどん自主規制していくことになる。それが知らないうちの大日本翼賛政治の実現と相成るわけだろう。しかし、東京都教育委員会は「決して強制したわけではなくて、結果としてそうなっただけだ」という見解に終始する。「強制」だったか「命令」だったか、「自主」だったか「志願」だったかなんてことはこんな程度のことなんである。
 自分を守ろうとする側は「いや、決して強制なんてしていない」というに決まっているんである。
 こんなときにそっち側の連中が、「だから日教組は」と書くと、すぐそれに付和雷同して乗っかってくる輩がいくらも現出。物知り顔を振り回すのだけれど、もう、間に合ってますぜ。