ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

産経新聞ですから

 産経新聞の2月11日に掲載された産経抄コラムがネット上では大炎上している。書いたのは曾野綾子。産経と曾野の組み合わせと聞いただけで、あぁ、その種の問題なのね、とおおよその理解はつく。その日のウェブ上の産経新聞にはそのコラムが掲載されていて、私もすぐに読んだ。
 しかし、今はなぜか見つからない。「オピニオン・曽野綾子の透明な歳月の光・629 労働力不足と移民」と題したコラムである。中見出しには「適度な距離」保ち受け入れを、と書いてある。

 最近の「イスラム国」の問題などを見ていると、つくづく他民族の心情や文化を理解するのは難しい、と思う。一方で若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めねばならないという立場に追い込まれている。 党に高齢者の介護のための入手を補充する労働移民には、今よりもっと資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならない。つまり高齢者の面倒を見るに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全くないのだ。
 どこの国にも孫が祖母の面倒を見るという家族の構図は良くある。孫には衛生上の専門的な知識もない。しかし優しければそれで良いのだ。
 「おああちゃん、これ食べるか?」
 という程度の日本語なら、語学の訓練など全く受けていない外国人の娘さんでも、2,3日で覚えられる。日本に出稼ぎに来たい、という近隣国の若い女性たちに来て貰って、介護の分野の困難を緩和することだ。
 しかし同時に、移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない。条件を納得の上で日本に出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。不法滞在という状態を避けなければ、移民の受け入れも、結局のところは長続きしない。
 ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住をともにするということは至難の業だ。
 もう20〜30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人という風にわけてすむ方が良い、と思うようになった。
 南アのヨハネスブルクに一軒のマンションがあった。以前それは白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。ところがこの共同生活は間もなく破綻した。
 黒人は基本的に大家族主義だ。だから彼らは買ったマンションに、どんどん一族を呼び寄せた。白人やアジア人なら常識として夫婦と子供2人くらいがすむはずの1区画に、20〜30人が住みだしたのである。
 住人がベッドではなく、床に寝てもそれは自由である。しかしマンションの水は、1戸あたり常識的な人数の使う水量しか確保されていない。
 間もなくそのマンションはいつでも水栓から水の出ない建物になった。
 爾来、私は言っている。
 「人間は事業も研究も運動もなにもかも一緒にやれる。しかし、居住だけは別にした方がいい」(産経新聞2015年2月11日7面)

 要するに四の五のいわずに高齢者介護に日本で働きたいという外国人を当てようじゃないか、だけど居住区は隔離せよということだ。
 彼女の見解には高齢者の介護についての認識と、移民対策としての認識の両方に大きな欠陥がある。
 介護については第三者の介護に当たっていかなる責任が求められるかという点で全く考えが及んでいない。孫が祖父母に何かのついでに食べ物をあげるというこんな例で語ろうとすることはあまりにも物事を知らなさすぎる。移民対策としても、彼女の解釈によれば、これではまるで労働奴隷の見方そのものだ。
 既にこの記事は海外むけの媒体によっても報じられていて、その反響は小さくない。
 NPO法人「アフリカ日本協議会」は彼女の発想をアパルトヘイトそのものであるとして抗議をしている。南アフリカのモハウ・ペコ駐日大使も抗議文を出しているそうだ(産経ニュース2015.2.14 19:50)。この記事の中で曽野と産経新聞の見解は下記。

曽野綾子氏「私は文章の中でアパルトヘイト政策を日本で行うよう提唱してなどいません。生活習慣の違う人間が一緒に住むことは難しい、という個人の経験を書いているだけです」
 小林毅産経新聞執行役員東京編集局長 「当該記事は曽野綾子氏の常設コラムで、曽野氏ご本人の意見として掲載しました。コラムについてさまざまなご意見があるのは当然のことと考えております。産経新聞は、一貫してアパルトヘイトはもとより、人種差別などあらゆる差別は許されるものではないとの考えです」

 つまり、その自身は自分が行っていることを正確に理解できていないということを露呈しているわけであり、産経の見解は曽野の個人的見解であって産経自身はよくわかっているんだという責任丸投げの大変に卑怯な逃げ方である。
 天木直人が自身のブログ(こちら)で、警告をしている。

追記

 朝日新聞に対しての曽野綾子のコメント。

私はブログやツイッターなどと関係のない世界で生きて来て、今回、まちがった情報に基づいて興奮している人々を知りました。
 私が安倍総理のアドヴァイザーであったことなど一度もありません。そのような記事を配信した新聞は、日本のであろうと、外国のであろうと、その根拠を示す責任があります。もし示せない時には記事の訂正をされるのがマスコミの良心というものでしょう。
 私は、アパルトヘイトを称揚したことなどありませんが、「チャイナ・タウン」や「リトル・東京」の存在はいいものでしょう。(朝日新聞2015年2月17日05時35分)

 全然わかっちゃいない。安倍政権の教育再生実行会議委員だったことを忘れている。チャイナ・タウンやリトル・東京は自らの身を守るために作られる集住地区であって、全く逆。やっぱりもう公的な場に出るべきではなくなっている。これを許していたら、レイシストを好き勝手にすることになる。

追記

 TBS「セッション22」で荻上チキがなんと曽野綾子にインタビューをした。良くまぁ、インタビューを受けたものだと思うが、多分彼女はこの番組の立ち位置をほとんど聴かされていないのではないかという気がする。私が行ったのは差別ではなくて区別だという、良くレイシストが使う言い逃れをそのまま使っている。
 周囲から来た抗議が何故に起こされたのか全くわからない、なぜなら私は差別だなんて一言もいっていないのだという。
 彼女はこんなに常識的な、誰よりも良く世の中をわかっている人間に何をいっているんだという雰囲気一杯で、そのあたりの様子はあの忌むべき元東京都知事をそのまま彷彿とさせる。