ほぼ足りてまだ欲 その先

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フィリピン

 天皇皇后がフィリッピンに行っている。国交正常化60周年になるそうだ。1962年に行って以来だという。フィリピンと国交が正常化されてから日本はフィリピンに賠償金を支払ったはずだ。1,980億円ではなかったか。一時、この賠償金を巡って日本の各社はどうにか絡んで儲けようとしてきた。1965年にマルコスが大統領に就任している。彼は賠償金で大儲けをした。なにしろ当時の賠償金を資源とするプロジェクトではとにかくマルコスにルートがある商社が絡まなくてはどうにもならないといわれていた。だから、その筋を押さえている商社は大手を振って肩で風を切って歩いていた。彼らはその後どうしたのだろうか。
 日本がフィリピンに進駐したとき、フィリピンを統括していたのは米国で、マッカーサーだった。日本軍がやってきたとき、米軍は市街地での戦闘を避けてコレヒドール島に撤退し、終いにはマッカーサーコレヒドール島から豪州のブリスベンに拠点を移した。その時にあの知られてた「I shall return」と発言した。だから、米軍がフィリピンに戻ってきた1944年10月20日にわざわざマッカーサーはレイテ島で海岸にバシャバシャと上陸した。
 日本軍を追い詰める過程で、結局多くの犠牲が出た。
 日本とフィリピンの関係からいうと、戦中の日本による占領時期に生まれたバイ・レースの子どもたちもその後辛い目を見たのだけれど、実はバブル経済期を中心とした時期に日本から遊びに行った男たちがフィリピン現地で作ったバイ・レースの子どもたちがその後辛い目に遭ったことを日本ではもうすっかり忘れようとしている。
 日本政府は南米の日系人を主な目当てとして「日系人」に対する労働ビザの優遇策をとったことがある。その際にフィリピンの日系人たちにもこれが適用された。ところが当時日本に労働に行って稼いだ金がフィリピンでは大きな金になることから、これが利権になり、本当の日系人が日本の入管へ出す入国許可をエイジェントに依頼すると、そのエージェントが入国は許可にならなかったと嘘を告げ、その許可を高価で売り飛ばすという事例が相次いだことがある。
 今回の天皇・皇后の訪比は戦争で犠牲になったすべての国民に対して慰霊をすると同時に日系人とも交換すると伝えられているけれど、そこまで考えられていれば、さすが!というのだけれど。