ほぼ足りてまだ欲 その先

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原爆

 日本に二発の原子爆弾が落とされ、それで戦争は終わった。多分あれがなかったらまだぐずぐずしていただろうと推測することは可能だ。なにしろもはや「和平」を口にするだけで軍部に引っ張られたくらいで、吉田茂たちは「吉田反戦グループ」として「ヨハンセングループ」と呼称されていたくらいだ。
 負けを自覚する発言なんてもってのほか、なにをいっている!軟弱ものにして、非国民だ!として徹底的に取り締まられていた。それでも国民の中には実情は認識されていた。 そんな状況であの原爆に発は実に大打撃だった。全体の日本の犠牲者数310万人に比べたら、その一割弱の犠牲者数はこの二発によるものだと考えるとかなり打撃を受けたわけだ。そう考えるとあの二発の意味は大きい。その点では未だに米国人の中に力を持っている「原爆が戦争をやめさせた」という意見は有効だ。
 だがしかし、だから米国は日本に対して謝罪する必要はない、という論理はまったく間違っている。なぜならあの原爆は全くの非戦闘員を殺すことを意味した武器であって、それを投下した米国政府及び軍部の責任ははなはだ大きい。尤もそれまで散々続き、散々日本の民間人を恐怖に陥れ殺した各都市に対する無差別爆撃も勿論非人道的な攻撃であって、それを主張して指揮したカーティス・ルメイの責任は重大だ。にもかかわらずそのカーティス・ルメイを最大級に讃える叙勲をなした自民党政権には呆れるばかりである。
 この非人道的な攻撃をアメリカにさせる理由を作り出したあの昭和初期の日本軍部、昭和天皇、時の政権が果たした責任はこれまた非常に大きい。
 これを認識せず、あるいは無視しようとする限りにおいて正当性は見いだし得ない。