ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

台風接近?

昨日の夜から今朝にかけて雨が降り続いていた。夜中に目が覚めた時もまだまだざんざん降っていた。ところが朝気がつくとピタッと雨は止んでいて、そのうちにお日様すら出てきた。じゃってんで、景色を楽しめる温泉に行こうじゃないかということになって出発した。候補地は二つ。一つは南向き斜面のかなり高いところにある温泉。もう一つは北向きの斜面にある温泉。
さぁ、どっちが見えそうなのか・・と検討の結果、北向きの500円温泉に直行す。露天風呂に出てみると!素晴らしい景色。どんどん雲は晴れて、すっかり連山が丸見えである!ここの温泉は日曜日でもめちゃ混みしない。それはどうしてかというと、そのそばに著名な大きな日帰り温泉があって、普通の人はそっちへ行ってしまうのだ。私たちも10年ほど前まではそっちへ行っていた。しかし、あまりの人ごみと、それに従ってお湯の汚れが気になって、どんどん他を探して行った。このお風呂は本当は宿泊施設のお風呂で、多くの客は地元の人たちだ。だから、脱衣所で地元の人たちの会話がよく聞かれる。今日は久し振りだねぇ!と言っているおじさんお二人。そして露天風呂ではいろいろなところへお湯に入りに行ったけれど、結局ここだねぇと話しているおじさん二人だった。
そして今日は北に見える山並みがすっかり丸ごとくっきり見えて言うことなしだった。風呂から出て、出口で売っている野菜を見ていたら並べに来たおじさんが、小さな長十郎の梨、5個百円というのと、これまで見たことのない変わったジャガイモを並べていた。そのじゃがいもはなんという種類なのかと聞いたら、本当か冗談か知らないが、「ですとろいやー」というんだというのだ。まさかと思ったら芋の表面に出る模様がプロレスのマスクみたいだからそういうんだというのだけれど、どこまで本当かわからない。
入り口にプレ・ジョブなんとかと書いた幟が立っている。なんのことかと思ったら、知的障害がある少年をここで実習してもらっているんだそうだ。そんなTシャツを着た女性が「実習中」のプレートをつけた少年がお掃除をしているのをサポートしていた。
ここからほど近いところに北国街道の本町通という、昔ながらの街並みをできるだけ保存している地域がある。昔からこの街に骨董品のお店を冷やかしたり、お蕎麦やさんにきたりしていたのだけれど、今から15年ほど前に某大学の某教授に連れられて、そば七という蕎麦屋に来たことがあった。当時は土日しかやっていない蕎麦屋だった。なんで週末しかやっていないのかというと、経営者の本業が他にあったからだ。
今の店は建物自体が200年ほど前の建物で、もう潰すというものをもったいないと、立ち上がった人たちが七人いて、ここを蕎麦屋として再出発させたというものだった。つまり、無意識のうちに認識していた店に、意図的に連れてこられたということだ。
その後、この建物の二階にもあげてもらうチャンスがあり、いつだったかたまたまイベントで、この並びの古い建物を軒並み公開しているところに遭遇したこともある。大きな魚屋さんには大きな作り付けの冷蔵庫があった。どこのメーカーが作ったのかという記録まで公開していた。この通りには骨董屋と思しきものが3〜4軒あるのだけれど、その全部に入ったことがある。一軒だけは今日まで開いているのを見たことがなかったけれど、今日ようやく開いていた。
この界隈に戦争中に高浜虚子がいたことがあったのだったか、そんな記念館にも行った。先日、この界隈のことをネットで見ていたら和菓子屋さんの大福のことが出ていたので、一個買って二人で分けた。
[ とっても驚いたのは、市役所が建て直されて、すごく近代的なものになっていたことだ。その隣がまた工事中で、何ができるのかと思ったら病院が移ってくるのだそうだ。最近地方都市では進んでいる、公共施設の集中化というやつだ。小諸の街はそういう公共施設の立て直しの予算が工面できずに苦労しているのではなかったのだろうか。図書館も市役所の中に移ったそうで、あの界隈の昔のことが思い出せない様相を呈している。

中山道旧道の「追分」に寄る。この宿の上に母校の高校の寮がある。高校一年生の時に各クラスごとにここにきて合宿をした。石尊山にも登った。当時の写真をみると、形から入る自分は、キャラバンシューズを履いている。生意気そのもの。その寮はそのまま残っているけれど、使われているのかどうかわからない。そのすぐしたが女子大の寮だった記憶だけれど、なんだかとってもモダンな、大変に大規模な別荘になっている。大金持ちに買われちゃったのかもしrない。
本町通りの夢屋のような骨董屋に首をつっこむけれど、掘り出し物見つからず。古本屋の店頭で百円本を5冊入手。

年に一度の訪問が続く。