あまりにも涼しくて、ふとんのなかがきもちよく、出たり、入ったりして、合計して8時間は寝ただろう。朝飯を食ってから、デレデレしていたら、また眠くなって小一時間寝てしまった。ま、デレデレしにきているんだからと、自分をごまかす。
じゃ風呂にいこと、思いつくがままに車を走らせ、布施温泉に到着する。ここの風呂はそれほど大きいわけではないから、頃合いを見計らうのに、神経を使う。露天風呂もマァマァなんだけれど、折悪しく雨がまた降る。ひさしの下でつかっていると、向かい入っていた地元のおじさんと思しき人が、ほら、そっちにアブがいる!という。慌てて飛びのくと、「大丈夫だよ、心がけが良い人は!」というから「だから危ねぇんだ!」と言ったら「そう来ると思った」という、実に素人っぽくない反応だ。君、元は芸人かね?
洗い場に大きな、大きな、実に大きな、元相撲取りじゃなかったのかというほどのおじさんが、随分長いこと椅子に座って、いつまでも泡を立てている。その人の周りに泡がひとえにも二重にもできている。どうするんだ、そんなに洗い立てて。
その奥の方に、ちらっと見えたら、モンモンをしょっているかの如し、若者がいる。やっぱりこんな奴がいるんだなぁ、裸になるまでわからないからしょうがないのかあ、と思って、もう一度念のために見たら、なんとそんなものではなくて、びっしりと体毛が生えている人だった。誤解しそうになってごめんなさい。
のんびりのんびりしていたものだから、あっちの蕎麦屋もこっちの蕎麦屋も、昼の営業時間が終わってしまって、じゃ、あっちへ、といった蕎麦屋が定休日だった。今回は2日目にして、まだ蕎麦にありついていない。
しょうがないから丸亀製麺に入った。
栗の木を 見上げて浴びる 蝉時雨
こういうのを発句したのだけれど、これじゃ、季語が二つ入っていることになっちゃうのかなぁ・・・。
テレビ朝日のモーニングショーで玉川徹がいう「間違った正義感」という考えを聞いて思わず膝を打った。だから、あんな暴力犯が平気で自分は悪くないと思っていて、やけに堂々と歩いて出頭するといっているだろう!と怒鳴って見せたり、同乗していた51歳の女性が「ひどい!ひどすぎる!」なんぞといっているんだろう。彼らには彼らなりの事情が存在しているのだ。ところがその正義感が世の常識的な正義感からはるかにかけ離れていることに気がついていない。どこかでこれまでにも、この種の人たちに遭遇して来たような気がする。コンビニで店員に土下座させるやつもそんな正義感を持っていたからなのではないだろうか。そう考えると全てに納得がいく。自分にもそんな危険性がないとは言えないんだけれど。