ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

NHKスペシャル

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 これまでの集大成なのかと思って気楽に録画していたものを夜中に見た。
かなり本質的なポイントを付いたインタビューだった。
驚いたのはSeattle郊外にあるという「Driveline Baseball」のことだ。
AIを駆使して様々なスポーツをデザインをするという考えのもとに運営されている施設で、大谷翔平は3シーズンくらい前からここで試してきたそうだ。あのスウィーパーもここで開発してきたようだ。ひょっとすると大谷翔平のような、どこまでもとことん野球を追求していきたいパフォーマーは絶対的なフィジカルを超えるデザインを追い求めていってしまうことになるのではないだろうか。多分大谷翔平自身もそれをすでに薄々察しているようで、LA Dodgersと契約した10年間を二刀流で完遂することは無理だろうと思っているようだ。となると、大谷翔平はそれが自分に突きつけられた時、Major League Baseball Playerとしての自分を続けていくことを自分自身で受け入れることができるだろうか。

  ま、いずれにしても、私ごときが心配するようなことではなくて、遥かに大きく超えている人間としての大谷翔平を楽しめばよいわけだろう。なにしろ彼の契約が切れる10年後まで私はとても生きてはいないだろうし。


 クリスマスプレゼントに娘が今流行の温かいソックスをくれたからといって、連れ合いが得意のチョコレートパイを焼いた。おすそ分けをすぐに頂いたのだ。旨い。










 これは日本と朝鮮との関係をリヴューするにはかなり勉強になる。さすが永六輔辛淑玉である。20数年前の本。
 終戦後すぐに朝鮮半島に帰還した朝鮮人は130万人に達するけれど、1950年に朝鮮戦争が起きて、それ以降は不可能になった。その後は1959年から北朝鮮への帰還が始まった。日本と韓国の間には1965年までは国交がなかったから、韓国への帰還には相当な資金が必要だったという。だから、しょうがない、北へ行こうという形だったが、相当に苦労した。なにしろ日本に来ていた朝鮮人の殆どは南の出身者だったからだ。