ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

2019年以来


 2019年のクリスマス以来の参列で、周辺の様相は嘘のように変わってしまっていたけれど、礼拝は全然変わらなくて、これまた嘘のようにすぐに馴染めてしまうのである。そういえばクリスマス礼拝に初めて参加したのは、多分小学生の頃で、日曜学校の延長線で、小3の時に、三人の博士の役だったのか、羊飼いの役だったかで寸劇までやることになって、それが嫌で日曜日をサボっていたら、当日ついに呼び出しが来て、無理やりステージに上がらされて、頭が真っ白のまま突っ立っていた。いやぁ〜な思い出である。自分がサボっていたんだから自業自得だけれど、それからは教会からは遠ざかっていた。それが大学に入ってから関係した学校が全てキリスト教系の学校で、なにかといっては行事が礼拝堂であって出入りすることになった。その後ほんとうの意味でクリスマスの礼拝に与ったのは多分赴任先の家の近くの教会で、結局そこにいついた。帰ってきてから初めて平日のクリスマス礼拝に与ったのだけれど、大学の礼拝堂の裏の道を走るバイクの音が響いてきて、あぁ外は普通の師走の街なんだなと認識した。築地に行くようになってからの平日の礼拝のあとの楽しみはアンパンだった。通常の日曜日だと終わって外に出ても、パン屋は休みだったからだ。それ以来、クリスマスは栗アンパンを買ってくるのが恒例になった。今はもうそのパン屋もなくなっており、街は外国人で溢れていた。


 クリスマスといえば引用される聖書の一節はいつでもヨハネ福音書だ。唄う聖歌もいつものもので何ら変わらない。「クリスマスはイエス・キリストの誕生日ではありません、キリストの生誕を祝う日です。誕生日はいつなのかはわかりません」をいうと、結構周りの人たちは「あ、そうなのか!」という。そうなのだ。


 S先生がおっしゃるには、先生が初代学部長を務められた、つまり私が二回目に卒業した学部が今年で創立25周年なのだという。そうか、そういえばあれは設立が1998年だった。


 いつも最後に大きな声で唄うこの日の聖歌は82番で英語のタイトルは「o come all ye faithful」、プロテスタントでいう讃美歌111番「神の御子は今宵しも」だけれど、我が方では「みつかいの 主なる おおきみ」と歌い出す。最後のところが凄まじいまでの歌詞で、「きたりて おがめ きたりて おがめ きたりて おがめ キリストぞ」というもので、いつも(こりゃちょっといいすぎじゃないだろうか)と思いながら、思いっきり大きな声で歌ってしまう。


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 鼻の脇が乾燥してしまってガビガビになってしまう。医者でもらった軟膏を塗る。そういう季節である。