ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

薬物

 今度のピエール瀧の事件に関しては、これまでの薬物事件に比べると随分様相が違っていて、彼を擁護するかの如きニュアンスの発言が目立つ。伊集院光の薬物で困っている人に対する対応窓口の告知とか、それじゃ、Paul McCartneyや、Eric Claptonにも同じようにマスコミや芸能界、レコード業界は対応したのか!という声なんかが聞こえてきている。昨日のTBSの赤江珠緒の涙や謝罪も、体調崩して休んでいた荻上チキがこのことだけをいいに来たなんてのも、これまでの薬中事件とは随分異なっているように思える。
 彼の人間性によるものなのだろうか。それにしても、どうしてコカインなんかに手を出したんだろうか。先日清原がどこかで喋ったらしいが、彼にも、なんでそんなことになったのか、だけは聞いておきたい気がする。

無料低額宿泊所

生活保護受給者など生活困窮者を対象とした施設、「無料低額宿泊所」(無低)。
無低は生活困難者が一時的に暮らすため、無料または低額な料金で利用できるとされる社会福祉法に基づく施設。厚生労働省の調査によれば2018年時点で、全国569施設に1万7000人が入所、そのうち生活保護受給者が1万5000人に及ぶ。法的位置づけのない無届け施設も加えると、入居者数は2015年時点で約3万2000人に及んでいる。

居室面積は7.43平方メートル(4畳半)以上、地域の事情によっては4.95平方メートル(3畳)以上と定める。ただし改定以前からの施設を中心に、ガイドラインの居室面積を満たしていない施設や、相部屋、また一部屋をベニヤ板などで区切っただけで天井部分が完全につながっている「簡易個室」も「一定数存在する」(厚労省

施設の入居者はみな他人同士の中高年男性ばかりのため、「人間関係のトラブルが頻繁で、暴力沙汰のけんかも何度も目にした」

住宅費と朝夕の食費、水光熱費などとして毎月10万円近く徴収され、支給される生活保護費は手元にほとんど残らなかった

厚労省の調査によれば、86%の無低で本人の手元に残る生活保護費は3万円未満

厚労省が規制強化に強く踏み込めない背景には、生活保護などの事務を取り扱う各自治体の福祉事務所と、SSSのような大規模無低事業者との間にある依存関係がうかがえる。

「福祉事務所は多忙なため、つい手間がかからない無低事業者に頼ってしまいがちだ」。元ケースワーカーの男性はそう語る。都市部では1人のケースワーカーの担当が100世帯を超えることもザラであり、アパート探しをはじめ丁寧な対応で困窮した当事者の生活の安定を担うことは容易ではない。

「一度入所すると、無低事業者は生活保護費から毎月取りはぐれなく利用料を得られるし、行政は事業者に丸投げすることで細かなケースワークの手間が省ける。両者はウィンウィンの関係だ」

千葉県の現況調査によれば、無低からの退所者のうち、失踪が3割弱を占めている。

多くの福祉事務所の現場では、施設入所が生活保護開始の条件かのように説明されることが少なくない。

千葉県弁護士会は昨年11月の会長声明で、「事業の運営に対する規制のあり方を検討するうえで、中立的、且つ費用面で利害相反する利用者の立場に純粋に寄り添う議論ができるのか、疑問なしとは言えない」


(風間 直樹 : 東洋経済 記者2019/03/01 5:00)
toyokeizai.net

これにたいして、「都内のとある大規模無料低額宿泊所に非常勤指導員として勤めていた」という男性がツイートしている。

1フロア89.95㎡(小学校のプールの3分の1程度)のスペースに2段ベッドが12台置かれ、1部屋に20人前後(4フロアあったので施設全体では約100人)が"収容"されている
批判や指摘をするだけで解決されるほど単純な問題ではない。
ホームレス状態の人に多くみられる「高齢者」や「障害者」といった方々が保護された場合で考えてみます。
そういった"カテゴリー"に属する方が住まいに困窮していて自立生活が困難とされた場合、高齢者であれば養護老人ホーム(老人福祉法)、
受け入れ戸口の広い無料低額宿泊所の方が生活保護CWにとって使い勝手が良いのでしょう。
救護施設ならば1月あたり約30万円(利用者本人の生活扶助費+施設事務費)に対して、無料低額宿泊所であれば約10万円(利用者本人に対する生活扶助費と住宅扶助費)
高齢者や障害者、路上生活経験者と聞くと、空き家の貸主やオーナーはそれを「他入居者とトラブルを起こすのではないか」「家賃を滞納するのではないか」「孤独死されては困る」といったようなリスクとして捉える傾向があり、入居が制限されている

 背に腹は代えられないのが現状だということだろう。都内にはホームレスの人たちが約1,500人いるともいわれています。
 こうした無料低額宿泊所に居住していても、高齢な人が多く、認知症ではないかと思われている人たちもおられるのが現状だ。アルコール依存症の人もいて、ブツブツ独り言を続ける人もいるし、風呂になんてもう何日も入っていない人もいる。そんな状態で、相部屋だったり、簡易壁の部屋にいるわけだから、耐えられない人も出る。貧困ビジネスの典型的な業界で、これまでにも古いアパートが火事になって何人もが犠牲になる事態が発生してきたが、この状況が打開されるためには、今のこの政権ではなにも画期的なことは起きないだろう。なぜなら、票にも金にもならないからである。

クレイジー・キャッツ

f:id:nsw2072:20190313210006j:plain:w360:left クレイジーキャッツはもう今月90歳になるはずの犬塚弘ただ一人しか生き残っていない。なんとなく粋な感じがする男だけれど、彼の実家は代々裁判官だという。クレイジーキャッツのメンバーにはピアノがふたりいた。石橋エータロー桜井センリだ。本当は石橋がピアノのメンバーだったのが、結核を患った間に、桜井センリが入り、普通だったらそのまま石橋はお払い箱だったろうに、病が癒えたら復活して桜井センリとふたりピアノだった。しかし、ギターじゃないんだから、ふたりのピアノは困る。ステージでは連弾をしていた記憶がある。
 そもそも桜井センリはあのグループの中でも、飛び抜けて優秀で既に売れていた人で、ハナ肇以外のメンバーは「桜井さん」と呼んでいたくらいだと聞いたことがある。
 で、その石橋エータローだけれど、テレビで見ていたらおふくろが福田蘭童の息子よね、といっていて、それが記憶に残っている。福田蘭童というのがどんな人か知らなかったけれど、尺八の名手だったというのは聞いたことがあった。しかし、今回ウィッキペディアを読んでいて、甚だ驚いた。
 福田蘭童は尺八の名手として知られていた人で、ラジオドラマの「笛吹童子」のテーマの作者にして演奏者だという。しかし、女癖が悪く、次々と結婚詐欺を繰り返したことでも知られていたそうだ。挙げ句に映画の音楽を担当することになったロケ先の大島へ出かける船の中で女優を強姦してしまい、責任を取れといわれて妻と別れ、その女優と再婚した。その別れた先妻とのあいだの子どもが石橋エータローだというのだ。驚き桃の木である。
 その先妻の実家が石橋姓で、これが資産家で、石橋エータローは様々な稽古事を受けて育つ。福田蘭童が父親だと聞かされたのは戦争中、彼が17歳の時だったそうだ。
 突然、なんでこんなことを書いているのかというと、よく読ませて戴いている方のブログに福田蘭童の名前を発見したからだ。

10年

 10年という単位にはやっぱり何か古今東西共通するものがあるのかも知れないという気がしだしてきたのは、そうねぇ、ここ10年くらいじゃないだろうか。
 英語にはdecadeという概念がある。さっき古今「東西」といったけれど、日本語にはこの単語でいうような感覚はないような気がする。確かに「十年一昔」といういい方はあるけれど、decadeの様な表現はない。「ここ十年」というものの言い方が正に「this decade」に匹敵するけれど、初めて英語のdecadeを聞いた時に、とても新鮮に感じていた。
 私の人生はこれまでにseven decadesが通過したわけだけれど、その年齢の十年ごとには別に何ということもなかったような気がするけれど、自分の興味、関心という点で見ると、どうもこの十年という時間にのっかってきたような気がしないでもない。
 最初の十年は横浜にいた。横浜しきゃ知らなかった。次の十年は怒濤の十年だった。一番多くの事柄が盛りだくさんだった十年だった。その次の十年は面白くて、やり甲斐のある仕事に直面した十年だった。その次の十年は結構厄介な十年だった。普通の人では味わえない厄介さだった。でも、この十年の記憶がその後の自分を作ってきたような十年だった。the fifth decadeは自分で選択したことが自分にそのまま返ってくるという始めての経験をした十年だった。the sixth decadeは人生再生のための十年だったし、これが私の人生で一番面白い十年だったといえるのではないかと今のところ思っている。the seventh decadeがついこの前終わったばかりだけれど、ちょっと贅沢な十年だった。ちょっと取り憑かれた興味関心がこれまでの自分の人生からほど遠いところにあって、呆れるほどの変化だった。
 趣味もほぼ十年単位だったと思って良いかもしれない。子どもを連れてキャンプにばかりいっていた十年。釣りに取り憑かれた十年、クラッシック音楽に目覚めた十年とか、大体十年単位だったんじゃないだろうか。そういえば北米の日系移民に取り憑かれた十年もあるが、これは日本の戦争に取り憑かれている十年ともラップする。
 オペラに突然目覚めてからどれほどたっただろう。何しろそれまであんなのバカみたいといっていたんだから、本当に人は気をつけて発言した方が良い。生まれて初めてオペラを目の当たりにしてから、今年で6-7年くらいか。まだあと3-4年は続くかな?
 次の十年は本をやっつける十年になるかもなぁ。

一応

f:id:nsw2072:20190313033900j:plain:w360:left 71歳になってから、どうやらこれは本当に年寄りと呼ばれる領域に足を踏み込んでいるらしいなぁと思うようになってきた。まず、朝起きたら布団から立ち上がるのに結構な決断と力がいることでもある。水をたくさん飲み続けないと、トイレの定期便が間が空いてしまうこともある。もっと感じるのは、バスに乗っていて満席だったから立っていたら、降りようとする爺さんが私の方をツンツンとつついて「ここ空くから!」といってくれた時だったろうか。えっ!爺さんにわかるくらい自分が爺さんなのか!とちょっと驚いた。若いお嬢ちゃんから見たらそりゃ爺さんに見えるんだろうけれど、爺さんから見て爺さんだとわかるというのは、太鼓判を押されたような気がする。どうやら「公認爺」を名乗っても良いかもしれない。
 ここに至るまでに多くの友人が奥さんを失ってきた。なぜ旦那が早死にしたケースが少ないのかと思ったら、女性の同世代の知り合いが少ないということもあるのかなぁ。女性の方が早死になわけはないのに。男性の友人・周囲の人で亡くなったのは、大学の先生をしていた人がふたり、二度目の大学で同級生だった男性。働いていた会社での同僚の人が6人。
 このくらいの歳になればまだ生き残った方かも知れないが、ここから先にいろいろな別れが待っているんだろうなぁ。