ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

記録

  • 25日のMetropolitan Operaは「サムソンとデリラ」で、2018年1月20日の収録。フランス語のオペラってのは、ところどころくすぐったい。旧約聖書が題材なんだからいろいろあったんだろうなぁ。
  • 25日の朝10時からのTBSラジオ伊集院光の番組に久米宏が生で出てきて、喋った。今度の土曜日の13時からの放送で、久米宏の番組が終わる。TBSラジオは彼を追放したいのか!?伊集院光久米宏は、オリンピックも来年だって、もう無理だよなと同意。まるで番組全部がCMみたいな番組のパーソナリティっているじゃない?やる?って伊集院が言うんだが、それって、早朝の生島だろ。久米宏「僕は一時は電通の廻しもんだったんだよ、あの頃の電通はすごかった」 「スポンサーがついているといっても結局は消費者であるリスナーが払っているんだよ、ギャラを」「やめる理由は老いだよ」「君は60歳になったことはないだろ?70歳になったことないだろ?」「あぁ、もう気力が足りないよなぁと思うんだよ」「噺家は、老いれば老いた時に良い場合があるんだよ」「能楽師の安田昇さんに呼吸法は教わったんだけれど、あの人の平家物語を聞いた時に、あんなに素晴らしいと知らなかったんだ!」「ネット久米宏はただだから、間違いだらけだけど許してね」

上を向いて話そう

上を向いて話そう

 桝井論平は今80歳。父は日本橋生まれ、母は浅草生まれ。開成から学習院大って、珍しくない?あの人のラジオは良く聞いたよなぁ。しかし、どう考えても、あの話しっぷりは江戸っ子とは思えない。

  • 吉里吉里人」は「話の特集」に連載されていたんだと思い込んでいたんだけれど、あれが連載されていたのは「終末から」だった。しかし、「終末から」はわずか9号で休刊の憂き目に遭った(全巻持っているんだけれど、どこの書棚の奥に入っているのか、判然としない)。その後はどこかに連載したんだろうか。しかも「終末から」は岩波書店が発行していたのに、刊行されたのは新潮社だ。「話の特集」にまるで紙面を埋めるために言葉遊びを羅列したかと思うような連載がされたのは「江戸紫絵巻源氏」で、話の特集社から刊行され、文藝春秋社から文庫化されている。「吉里吉里人」は文庫で書棚にあるが、「江戸紫絵巻源氏」は通読した記憶がない。それにしても山下勇三画伯も頑張られたんだなぁ。と、ここまで来て、山下勇三画伯が2008年になんと71歳で他界されていたことを知る。

吉里吉里人(上中下) 合本版

吉里吉里人(上中下) 合本版

江戸紫絵巻源氏

江戸紫絵巻源氏

  • ウィッキペディアを読んでいて、和田誠久米宏平野レミを紹介してくれと頼んだら、久米宏が「平野レミだけはやめた方が良いですよ」といったと書いてある。「おっとこが出るか!おんなが出るか!」と叫んでいた、あの平野レミをどうして和田誠が紹介して欲しいと云ったのか、どうしても知りたい。和田誠亡き後、本当のことを知る人は久米宏だけか?どうも平野レミに尋ねたら、自分で話を作ってしまいそうな気がする。

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  • 「終末から」を探しているうちに、「話の特集」の1980年3月号を見つけた。ということは同年の2月に発行された170号だ。特集は前年末,12月2日に71歳で亡くなった植草甚一についてだった。71歳だったとはとても意外だった。彼はもうずいぶん歳がいっているんだと思っていたからだ。それにしても、彼が死んだことをほとんど覚えていない。不思議だと思っていたんだけれど、それには訳があって、私はそれから一週間も経たないうちに、米国へ出かけてしまっていて、死んだことは知っていたのかも知れないけれど、反芻する機会を失っていたからだろう。で、私が帰ってきたのは翌年2月の末だったのだけれど、だったらこの号はいつ買ったんだろうか。2月の末に帰国して、翌日友達のお母さんの葬儀に参列した記憶があるが、4月号が出る前までにどこかで買ったということか。当時だったら銀座の東芝ビルの一階にあった旭屋書店だった可能性は高い。追悼座談会に出席していたのは植草甚一と同じように東宝に勤めていた淀川長治野口久光、写真家の浅井愼平晶文社津野海太郎矢崎泰久だ。どうもこれを読むと、植草甚一が「責任編集」となっていた宝島から出した雑誌「ワンダーランド(後に宝島)」あたりから文章の仕事に、それまでの丁寧さが欠けてきた、という声が上がっている。面白い話がてんこ盛りに語られている。寺山修司がニューヨークへ行く時に、植草甚一が地図を書いてやったと。帰ってきた寺山がこことここが変わっていましたと報告すると、植草甚一は「実は僕は行っていないんだ」といったという話は有名だった。それでも彼は晩年、立て続けに三回ニューヨークへ行っているそうだ。となると、トランジットを入れて5度ニューヨークへ行ったことがある私の方がなんぼか詳しくなくてはいけない筈なんだよなぁ。

検査

 血液検査をもう半年以上していない。通常半年に一回はやって、さまざまなバイタルデーターを見て、薬を投与するのか、量を増やすのか、医者が説明してくれてきた。ここ三ヶ月は、ただ処方箋を出して貰って、今まで通りに、コレステロール対策の薬と、ヴィタミンDの薬を出して貰っているだけだ。それに酸化マグネシウムを便秘対策に出して貰っている。

 血液検査をしていないから、肝臓絡み、中性脂肪だなんだかんだのマーカーがどんな値を示しているのか、全くわからない。だから、本人は、血糖値も尿酸値も問題ないんだと目をつぶっている。


 それとまったく同じように、PCR検査なんて受けたことがないから、感染していたかどうかなんてわからない。ましてや抗体検査も縁がない。検査をしなけりゃ当然状態はわからない。アメリカのワカランチン大統領が「検査の数を減らせば、感染者の数だって減るだろ!」とたまにはまともなことをいった。そのとおりだ。現にここに検査の数をいつまでも増やさず、どこか外国に行ったことがあるか、感染者と濃密な接触をしたことがない人のPCR検査はやらないとバカなことをいって、感染者数が増えないことを誇っている国がある。検査をしないで、感染者が判明しないようにしているんだから、当然、実は感染していて、死んでしまった人が相当数いることが想像される。そうした人々を無視している国があるということに愕然とする。私たちは平気で無視されようとしている。

卑劣

  • 公衆の面前に出てきて公開討論会をやろうとしない。← 探られると痛いところばかりだから。公約は全部実現せず。
  • 顔や名前が出ていないけれど、容易にそうだとわかるポスターを公式ポスターと別にベタベタ貼る。こんな知恵は彼女には出てこない。必ずどこかの広告代理店が絡んでいるはずだ。確か、妙に高い価格で発注している特定の広告会社があったなぁ。

地震

  • 4時47分ころ、地震がありました。震源地は、千葉県東方沖(北緯35.5度、東経141.2度)で、震源の深さは約30km、地震の規模(マグニチュード)は6.2
  • ぐうらん、ぐうらんと揺れて、まるでバランスボールに乗っているみたいでした。
  • それから眠れなくて、朝ご飯を食べてしまい、二度寝をしたけれど、うつらうつらで、一日中、なんだかぼぉ〜ッとしていました。
  • 気象庁の話では2011.3.11の余震ではないかというのです。そうか、地球にとっては9年間なんて、あっという間の出来事で、ここから先も、この種の「余震」があっても不思議じゃないのね。

マメご飯

 マメをご飯に混ぜて炊く、という料理がある。ま、お赤飯だって、同じようなもので、あれは小豆を混ぜて蒸す。しかし、餅米である。普通のご飯にグリーンピースを炊き込む「グリーンピースご飯」はうちの親父の大好物だった。なんでも、昔、学生時代に海で、マメを混ぜて海水で炊いたご飯が美味しくて忘れられなかったらしい。しかし、私はこのご飯が大嫌いだった。グリーンピースの食感と、普通のご飯の相性が私には我慢ならなかった。その上、おふくろが炊いたグリーンピースご飯は、マメがしわしわになっていた。あれは本当は別に茹でたグリンピースをあとから入れて混ぜるのではないのか。レシピを見ると一緒に炊くからご飯に味がしみて旨いんだと書いてある。それとも、オヤジと一緒に飯を喰うと、必ず飯の途中で意見が分かれてむかつくことになるから、嫌いになったのか。今では五穀米や、十六穀米なるものは大好きだ。
 グリンピースは、昔はハヤシライスや、天津飯なんかには必ず3-4個載っていた。そんなハヤシライスの話をしたら、すぐ上の姉が、私はそんなハヤシライスを食べに連れていって貰った記憶がない、やっぱりあんたは依怙贔屓されていたんだという。そりゃしょうがない、ひとり息子だったから、明治生まれのオヤジは良く日曜日の夕方は東映映画を見て、帰りに駅の反対側にあった日進軒でハヤシライスを食った。
 横浜駅東口にあった崎陽軒の駅弁はシウマイ弁当しかなかった記憶だけれど、先日東京新聞に「炒飯弁当」が出ていた。いつも崎陽軒シウマイ弁当を買う時に、その横にある炒飯弁当には気がついていたけれど、私は一度も買ったことはない。炒飯は箸で食うものではないという概念の持ち主だからだ。それに冷たい炒飯は、それは炒飯じゃない。冷えた焼きめしだからだ。
 子どもの頃、つまり半世紀前の駅弁といったら、どこでも百円というのが相場だった。だから、多分あのシウマイ弁当も百円だったはずだ。あのシウマイにはグリーンピースが載っていない。もちろん伊勢佐木町にあった博雅のシウマイにもグリーンピースは載っていなかった。

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プライヴァシー

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 個人情報の壁は結構かっちり構築されているので、なかなか他人の情報はわからない。先週末、上の階の人がベランダの非常ばしごフレームから水を漏らしたので、うちのベランダにジャージャーと水が流れた。幸い洗濯物をぶら下げていなかったから、なんの被害もなかった。上の階の人には以前同じことがあって、そこは水密になってはいないから、気をつけて下さいと、云いにいったことがあって、それがきっかけで、上の階の人はうちを避けているのがわかった。エレベーターで一緒になっても、挨拶もしてくれなかった。それだのに、どうしてまたそんなことをしたんだろう。つれあいが上の階に行ってみた。すると窓にカーテンも掛かっていなくて、中が見えた。中は空っぽだったという。ということは、いったい、誰が水を流したのか。どういう状況になっているのかが解らない。

追記
 どうやら新しく引っ越してきた人が他の部屋でも非常ばしごフレームから水盛りをさせた事件が起きているらしい。上の階は最初から住んでいる人だけれど、いつの間にか男性ひとりの住まいになっているらしく、多分今まで掃除をしたことがなかったから知らなかったらしい。以前には家族で暮らしていたはずなのだけれど、いつの間にかひとり暮らしになっているらしい。なにか事件が起きなくてはこうしたことがわからない、そんな環境に暮らしていることに唖然とする。

 二歳年上の知人は一昨年、肺癌で左の肺を摘出した。それ以来、抗癌治療を続けていると云っていたのだけれど、昨年の11月以来逢えていなかった。そこへこのCOVID-19騒ぎで誰もが連絡を取り合っていなかった。先週の末に、友人のひとりが携帯電話にかけたらつながらなかったといってきた。入院しているのかも知れないと、手術をした病院に連絡したが、入院記録はないといわれたと。親戚のひとりを知っている友人がいて、その親戚に連絡を取った。親戚が地元の警察に連絡を取って、確かめて欲しいと依頼した。救急車を伴って、警察が行ってみると、ひとつだけカギのかかっていなかった窓があったので、そこから入ったら、誰もおらず、もぬけの空だったという。彼はひとり住まいだ。ケアマネージャーがついていたというので、そのケアマネージャーに連絡を取ろうとしたら、情報を開かして良いという対象に登録されていないから、教えて貰えなかった。
 彼は奥さんを亡くしてずいぶん経ち、娘さんがいたのだけれど、ずっと繋がっていなかったという記憶だ。ひょっとすると、そのお嬢ちゃんと彼はここへ来て連絡をしていたのかも知れない。携帯もつながらず、その後の行方を追うことができなくなった。どこへ行ってしまったのか。

記録

  • 今日のMetropolitan Operaは2017年のLa Triviataだ。聴けば聴くほど、このオペラに出てくる歌は揃いも揃って良いメロディーばっかりで手元がおろそかになる。
  • 「現金は配ったけれど、買収じゃない」=「パンは食べたけれど、ご飯は食べていない」
  • 今日の風は湿気をたっぷりと含んでいる。明日からは暑いらしい。それを聴いただけで憂鬱。


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