あ、キリを踏んだ人がいる!22000!
60年振りに判明した遺骨
今日のNNNドキュメントは青森制作。シベリア抑留中に犠牲となった元日本兵の遺骨がDNA鑑定の結果、本人と認められたという話。戦後60年経ってようやく自宅に戻ってきた遺骨。この科学の進歩がなければ決して判明しなかったはずの遺骨である。
ソ連によって捕虜になり、シベリアを初め各地で強制労働に従事させられた日本関係者の数は様々な説があるが、この番組では50万人を超えるといい、犠牲者の数は5万人を超えるという。そのうち現時点で身元が判明しないまま厚生労働省に保管されている遺骨が千体を超えている。しかし、切り札のDNA鑑定も国自身がその鑑定機関を持っているわけではなく、お願いをして実施してもらっている。これまでに判明したのは60数体にすぎないという。なにかおかしい。こんなことが善意によって行われるしかないのだろうか。何故厚生労働省に専門部署が作られないのだろうか。それで、あの横田めぐみさんの遺骨といわれた骨の鑑定も大学の手によって実施されたということなのか。
1947年から1956年にかけて、47万3000人の抑留者の帰国が行われたが、中には帰国を拒否してソ連に残留した者、ソ連に帰化した者もいる。
なお冷戦終結後、ロシア側から収容所・墓地の所在地リストが日本政府に手渡されたことに基づき、厚生省(現・厚生労働省)や民間の遺族団体などによって、毎年夏季に現地で抑留中死亡者の遺骨収集事業が進められている。(ウィキペディア・シベリア抑留より)
ソ連による満州での乱暴狼藉も多く伝えられるところである。しかも、満州に開拓移民団として入植した多くの日本人民間人も犠牲となった。そうしたことを伝える書籍は枚挙のいとまがない。そして現地に残された子どもも60年後の今、辛い人生を送っている。日ソ中立条約を一方的に破棄するという卑劣な行為によって犠牲となった人々に対して、ソ連はこれまでにいったいどんな償いをしたというのであろうか。
こうした話をどこかで聞いたことがある。日本軍の行動、活動によってこうした犠牲を受けた人たちも、そしてその家族もやはり同じように苦しんでいることが想像される。こうした話を聞くと「いつまでもしつこく賠償、賠償ってうるさいんだよ!」とはとてもいえないなぁ・・。こういうと、やれ、日本軍によって起こされたといっているあの事件はそんな数が犠牲になっているわけではないのだという点だけを取り上げた議論になったり、自国に誇りを持て、などという方向違いの反応になって出てきてしまう。
60年間の永きにわたり、戦争という行為に手を染めなかった(それも偶然ではなくて、しかも(動物的ではなくて)人間的な明確な意志を持って、全世界に宣言した上で)、そんな私たちの国を大いに誇りに思って良いだろう。しかし、その非常に人間的な姿勢は「乱暴と暴言」によって簡単に動物的本能のおもむくままに斬って捨てられてしまいやすい。人間の誇りというものはそうした行為への誘惑によって投げ捨てられやすい。これを阻止できるのはやはり教育なんだろうと思う。ただし、ここでいう「教育」とはいわゆる学校の中だけで行われるものではない。
こんな本
- 「旅はゲストルーム ー測って描いたホテルの部屋たち」浦 一也、光文社知恵の森文庫
ホテルの部屋を俯瞰で描くといったら、まず最初に思い浮かぶのはあの妹尾河童さん。彼の絵は大好きだ。どうしてあのように描けるのかがわからなくて、彼の本を見てハタと膝を打ち、やってみたことがある。
この浦一也さんは芸大のインテリアデザインを出た方で日建設計(この本の著者略歴では誤植になっているけれど)で設計業務に従事。ここに掲載してある絵はすべて1/50にメジャーを使って測定したところから描き起こして、水彩で着色してある。またそのセンスが抜群で見ていてとても楽しい。世界各地の著名なホテルの部屋を描いてあるだけでなくて、そこから見える景色がこんな具合によいのだ、としてあったり、著名なホテルで同じように客を装ってみている中でも同業者はかぎ分けられるようにわかってしまうというような話は興味深い。同じ業界に働くものには似通った匂いがあるというのは私も思ったことがあって、職業を聞いて思わず絶句したことがある。
- 「にっぽん俘虜収容所」林 えいだい著、明石書店 1991.8.15
「1942年6月25日、陸軍大臣東条英機は、新任の俘虜収容所長会議で次のように述べた。”我が国は捕虜に対する観念上、その取り扱いに於いても欧米各国と自ら異なるものあり、人道に反せざる限り、厳重にこれを取り締まり、且つ一日と雖も無為徒食せしめることなく、その労力特技をわが生産拡充に活用するように”」(序文より)
よく知られている泰緬鉄道での使役、日本国内での使役に多くの戦時捕虜が使われた。彼らの収容所における公的写真、捕虜自身の手によるスケッチ等を多く取り入れ、戦後ある捕虜が日本を訪ねて当時の人々に会う姿をもたくさん掲載している。惜しむらくは系統立った説明にかける点であろうか。資料として存在しているグラフィックをただ並べただけ、という印象がしてしまうのが惜しい。
戦後米国によってとらえられ国家反逆罪として起訴された「帰米二世」川北友彌を語るノンフィクション。アイバ・戸栗は同じように反逆罪に処せられたが彼女は帰米二世ではなく、ごく普通の二世として叔母の病気見舞いに来日して開戦され、帰ることができなくなったわけで、事情は異なる。
これは著者の博士論文を一般向けに書き改めたものであるとしてある。この作業には大いにエネルギーがいったであろうことが想像されるが、多分相当に楽しかったのではないかという想像もしてしまう。著者は40代になったばかりの大学助教授であり、若い人たちに先の大戦を理解してもらうことについて考えていることが伺える。この若さで良くこれだけの発想を持って当時の建前の文と本音の文を調べ上げてここまで書き上げたものと感心した。次々に何も知らないこの戦後生まれ世代に新しい話を伝えてくれる。「スパイに脅かされないためには知らなきゃいいんだ」という”三猿主義”にはびっくりさせられる。
戦後すぐに日本人5千人もに面談調査を行ったアメリカ戦略爆撃調査団は「戦意」を”日本人がその指導者にしたがい戦争に勝つために労働し、犠牲となろうとする意欲と能力を示す諸要因を総合したもの”という視点から分析していたが、”戦中の日本人にとって「意欲」とは、しばしば、「能力」とはかけ離れた世界でも成立し得る観念であった。つまり、精神力である。(中略)ひらすらその「やる気」だけで克服しようとする気持ちの力である”
これには、参った。戦後生まれはいつでもこういわれて反発していたっけ。いつまでもこういわれていたような気がする。「君には意欲が感じられない!」TVタックルに出てくる三宅某が好きそうな言葉だ。
- 「Unbroken Thread: An Anthology of Plays by Asian American Women」Roberta Uno著:これまで名前だけは見たことがあるんだけれど、舞台はもちろん見たことがないし、筋書きも読んだこともないVelina Hasu Houstonの「Tea」が載っているらしい。もちろん翻訳本はでてない。Amazon.comにはusedが載っている。10ドルくらい。どうしようかなぁ。個人情報抜かれちゃわないかなぁ、なんていったら営業妨害か。
シンポジウム
文京区で開かれたシンポジウムに出席。席数370程度の会場であるがほぼ満席。見慣れた顔が数多く見られる。20数年前に会ったことのあるジャーナリストに会う。かろうじて覚えていてくれたようだけれども、彼にとっては私の当時の立場から今現在を想像できないわけで、この場にいる私を理解できないようだった。20年ほどの知り合いである編集者にも出会う。彼に同行すると、良くテレビでみるコメンテーターに紹介される。ちょっと小粋なその店では、見るからに頭の良さそうな、これもまたなんかしら書き物に縁のありそうな若者たちが句を吟じはじめた。おじさんも加わる。題は「夏来る」で、私の投句二編には一票も入らず。そりゃそうだ、ひとつは「皇居前 芝生にいりて 夏来る」だし、もうひとつは「夏来る プールに行かなきゃ この腹は」なんだから。