いやぁ、実に夜が寝苦しく、一旦午前2時に眼が覚めるとあまりの汗に眠れない。冷凍庫から保冷剤をとりだしてきたり、冷蔵庫から飲み物を出してはごくごく飲んだりしていたが、4時にいたって、空腹を覚え、冷蔵庫をひっくり返してご飯を一膳食べる。多分ようやく眠れたのは4時半頃。「雨が降っている」という連れあいの声で眼が覚めたのは午前8時である。寝不足でフラフラする。一昨日徹夜をした友人のことを考えるとこんなことで逡巡していてはいけない!といったのは昔の話で、いまや、彼はタフでも、私はタフじゃないんだ、といってしまう。タフって英語だったなぁ。今日一日また蒸し暑いことだろう。
交換日記
昨日眠れない中で想い出したことがある。私の高校は昔高等女学校だったという共学の公立高校だった。戦後になって初めて男子学生が入ってきた。だから、今でも同窓会の幹事は圧倒的に女性が多い。私の学年はまだ女子の方が多くて6割が女子だった。三年の時(つまりもう17-8歳なんだってのに)交換日記ってのをやっていたんだなぁ。多分「愛と死を見つめて」なんてのに影響を受けたんだと思うんだけれども、男子二人、女子四人だった。順番にノートを渡していくわけである。これ、今だったらmixiのコミュニティだよ。しかもROMがいない。必ず何か書く。淡々と続いていた。しかし、今あの何冊にもなったノートは一体全体どこにあるというのだろう。とっくに誰かが捨ててしまったかも知れない。あるいは誰かの本棚にじっといつまでも挟まっているのかも知れない。
ところで、あの学校のクラスメイトの中にはいじめっ子が全くいなかったという記憶である。嫌みな奴ひとりいなかった。あ、少し想い出した。私はアイビー坊主だったので、それを揶揄する匿名の手紙を靴箱に入れられてスニーカーと呼び始めた運動靴を盗まれたのを覚えている。ま、それくらいだ。別にそれでめげまくったわけじゃない。むしろ高鉄棒で体育の教師にいじめられたのを覚えている。あれは彼の私に対するリベンジだったのだと思っている。生徒会で生徒全員の前で彼の横暴を拒否した私に対するリベンジだったと思う。男子も女子もみんな仲良しだった。それは本当に仲良しだった。だけれども、それなのに今でもつきあっている友人がほとんどいない。なんでなんだろう。