ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

豪州へ

 自民党国会対策委員長である大島理森がテレビの中で豪州へ出かけるに際し、前豪州首相、ハワードにねじれ国会についての意見を聴きに行くんだと説明していた。しかも毎日新聞(2008年7月22日 東京朝刊)によると民主党山岡賢次社民党日森文尋国対委員長は一日先に日本を出ていて、大島は公明党の漆原良夫国対委員長と一緒に行くんだそうだ。
 彼らがこの豪州への旅行に際しては当然、党費で行くんだろうなぁ。明確に彼らの目的はそれぞれの党の国会対策担当として行くんであって、彼らは国会議員としては単なる一議員に過ぎないし、ねじれ国会の豪州の現状なんてものは昨日今日始まっている訳じゃないんだから、今更出かけて行かなくたって資料はいくらでもある。いくらでもあるだけじゃなくて、日本の国会のねじれ状況そのものに関しては与党が前回の参議院議員選挙に敗れた結果、つまり国民、選挙民から与党が支持されていないというだけの話であり、豪州にわざわざ行く意味はない。
 どうせ行くならケビン・ラッドと会ってこいよ。なんで今や力もないハワードの話を聞きに行くというのだ。
 しかも、なんで与野党がそろって行かなくてはならないというのか。彼らの出張旅費を国会から負担しているのだとしたら、それはとんでもない大間違いだ。まさかキャンベラ以外のところに行って遊び回るんじゃないだろうなぁ。

それだけはやめてくれ

「むしゃくしゃしてやった。無差別に人を殺そうと決意した」という話が次から次に続く。多分に模倣犯としての傾向が強いのだろうけれど、自分の絶望に他人を巻き込むという行為は突発性無理心中とでもいうのかも知れないが、あまりにも身勝手すぎる。一体いつからこうした思考回路がつながってしまうことになってきたのだろう。
 どこかから飛んできた隕石についていたウィルスが蔓延しているかのような、唖然とした雰囲気が辺り一面に絶望的に立ちこめる。そんなことをいってしまったらもうおしまいだもの。いやんなったからなにしたって許されるとでも思うのだろうか。
 私たちの国には宗教というものが本質的にもう存在していないということからここまでたどり着くのだろうか。

総括

 4月から週に一回水曜日にお話しをお伺いしていたレクチャーの総括の日だった。途中で旅に出てしまったので、三回ほど欠席していたのでちょっと問題だった。大きな部屋に一人おきに席がナンバリングしてあって、部屋に入るときに番号が振ってある出欠表を渡される。70分間を使って二題について記述せよというご指示だったのだけれど、正確にいうとひとつの設問に「〜をのべ、そのおのおのについて〜と比較しなさい」的なものだから、二題というよりも全部で7~8題に相当しそうである。
 この歳になると大変残念なことに昨日も今日も読んでいたにもかかわらず、人名が記憶に残っていない。なんたって何十年もつきあっている友達の名前だって出てこないときがあるくらいなんだから、そんなのが出てくるわけがない、と居直ってみる。
 もうひとつは近頃はシャーペンで書き物をするということがほとんどない。だから焦ってがんがん書いていると指も二の腕もだんだん痛くなってくるという情けない状態。挙げ句の果てに漢字が出てこないじゃないの。あぁ、本当にこういう試練には若いときが一番耐えられるということなんだろうなぁ。
 もうここ1~2年お会いしていない方に路上でばったりと遭遇する。大病なさったはずなのに、とても元気そうで、身体も締まっている。鍛えているんだと仰っておいでだった。偉いなぁ。とても人前で話せるような日々を送っちゃいないこっちとしてはとても恥ずかしい。
 帰路、ふと気がつくと今年初めての蝉の声を聞く。本物の夏だ。

本屋で

講談社現代新書の新刊「昭和を点検する」保阪正康+半藤一利。2007年9月9日の新宿セミナーでの対談、2007年2月28日の対談を加えたものだということだ。
もう一冊はちくま学芸文庫の「日本の百年 10 新しい開国」鶴見俊輔編著で、これでこのシリーズは10巻完結。
珍しく今話題のコーマック・マッカーシーの「ザ・ロード」を求めようと数少ない海外文学の棚を見回るが(こんな大きな書店でもたったの棚二つ分しかない)、とうとう見つからず、お伺いしてみると「ただいま品切れ中です」というお返事。発刊からわずかに一ヶ月だよ。

「昭和」を点検する (講談社現代新書)

「昭和」を点検する (講談社現代新書)

懐かしい人たち

 ネットの発達は凄い。とある都内のライブハウスの9月のスケジュール表にアクセスした。すると学生時代のサークルの後輩が案の定そこでライブをやるといっている。多分彼は売れているからすぐにいっぱいになるに違いない。急いで席を取りたいのだけれど、ひとりで行く勇気がない。彼に聴かせたいプレイヤーのCDまで入手してあるのだけれど、それでもひとりで行く勇気がない。もし、語りかけて「どちらさんですか?」といわれたらどうしようと思うからである。もう7-8年会っていないから多分私の変わりようには認識してもらえそうもないからだ。
 で、逡巡しながら、その前日の予定を見たら、今度は当時の私たちの間ではとても有名だった人たちが寄り集まってライブをやるという告知が出ていた。当時は知らない人がいないくらいのグループの人たちだ。ところがその三人の横に40年ほど昔にずいぶんお世話になった人の名前が出ている。担当楽器といい、その名前といい、あの人に違いない。しかし、こっちはもっと逡巡するのだ。なにしろ40年前である。あの人に誘われて若者30人ほどのコーラスに入ったこともあった。あの頃は私も若者だったのである。しかし、何度も言うがなにしろ40年前である。覚えていてくれという方が無理だ。結局その方に当時接触のあった人たちで伺うことにしたのだけれど、私は自信がない。
 それもこれもネットというものがつながっていなかったらあり得ない話だ。何とも凄い世の中になったものだ。