ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

散歩

 最近、一日に一時間は歩いている。これで一体何歩くらいに相当するのか分からないけれど、日がな一日パソコンの前に座っている生活よりはまだ良さそうだ。今日も稽古は朝10時からやっていたらしい。18時に行くと、丁度私の出番だといってすぐさま立つ。大ベテランの皆さんに不安を与えているのは多分私だろう。やれやれ。稽古場への帰り道に友達のところに寄ったので往復約6400歩。

異様な早さ

 不起訴になった小沢氏不起訴の当否判断についての検査審査会の審議が異様な早さで進行していて、すぐにも結論が出そうだと、報じられている。(え〜っと残念ながらそんな報道がどこにあったのかを忘れてしまったので根拠を示すことができない。)
 「小沢を告発した市民団体」というものの実態もキチンとは報じられてはいない。しかし、偏ったグループのようだというニュアンスが聞こえてくるのも事実である。
 結論が早く出るだろうという報道は時事通信もこのように伝えている。

検察審、近く議決へ=小沢氏不起訴の当否判断−陸山会規正法違反事件
 小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体陸山会」の土地購入をめぐる事件について、検察審査会は近く、小沢氏を不起訴とした東京地検特捜部の刑事処分の妥当性について、判断を示すとみられる。起訴すべきだと2回議決されれば、小沢氏は強制的に起訴されることになることから、国民から選ばれた審査員がどのような結論を出すのかに注目が集まる。
 特捜部は2月4日、政治資金規正法違反罪で衆院議員石川知裕被告(36)ら3人を起訴。小沢氏については、石川被告らとの共謀を立証するだけの証拠がないとして、嫌疑不十分で不起訴とした。
 これに対し、小沢氏を告発した市民団体が同月、不起訴処分を不当として審査を申し立て、東京第5検察審査会が審議している。
 審査員の任期は半年で、同審査会では11人中6人が4月末で入れ替わる。このため、今月中に判断が示される公算が大きい。6日には、捜査を担当した特捜部検事が、不起訴にした理由や提出した証拠などについて、審査員に説明した。
 審査の最大のポイントは、「虚偽記載について小沢氏に報告し、了承を得た」とした石川被告の供述調書の評価とみられる。検察当局は、小沢氏による積極的な指示までは認められないことなどから、共謀の証拠としては不十分だと判断した。
 証拠評価の結果、小沢氏を起訴すべきだとの意見が8人以上となれば「起訴相当」、不起訴は妥当でなく、再捜査を求める意見が過半数なら「不起訴不当」と議決される。
 起訴相当の議決後、地検が改めて不起訴とした場合などには再審査。起訴相当が再び8人以上なら「起訴議決」となり、小沢氏は裁判所が指定する弁護士によって強制起訴される。8人未満の場合には、不起訴のまま終結することになる。(2010/04/18-14:36)

 これだけではちょっと不思議な理由である。11人の審査員のうちの6人が今月中に終わりになるからとにかく今月中に結論を出してしまうというのは「本末転倒」だという報道をするべきなのではないだろうか。それならば、入れ替わったところで、これまでの検察の捜査資料を充分に読み込むことをして、それから結論を出せばよいのではないだろうか。
 それから、この記事には検察審査会は通常どれくらいの期間を掛けて検察資料を読み解いているかという例示がない。これはフェアな報道とはいえないだろう。多分にこの記事の裏には検察関係者によるレクチャーがあったように私には読める。

噴火余波

 欧州北部から中部はあの噴煙の影響で今でも飛行機は飛ばない。テレビの画面で見ていると人びとはどんどんイタリア、スペイン、南フランスを目指して南下する手だてを探し求めて右往左往しているようだ。インタビューに答えるのにも、ぐったりという雰囲気がよく分かる。タクシーの運転手はこの時とばかりに張り切る。宿泊施設も満杯で、中には帰りだったからもうお金を持っていないんだと空港であきらめ顔の人もいる。
 そんな中陽気にインタビューに答えていたのが日本人のツアー客だった。なにしろ自分はなんにも悩まなくてもいい。ただ、添乗員に「どうするのぉ〜?」といっていればいいと思っているようだ。そんな場合じゃないんだけれどね。時間に困っていない人はどうでも良いんだろうけれど、とにかく動けないところからどこかに動くことができる人というのは、いつどんなところでも、結局金を持っている人たちであって、金のない人たちはそこに留まるしかないんだなぁ。
 空港が閉鎖されたから飛べないのであって、この事態は航空会社が負うべき責ではないのだそうだ。自然には勝てない。
 CNNの報道によると欧州の各航空会社は試験飛行を実施しており、大丈夫だとの結論を出しているんだと云うけれど、もしこれでエンジンの停止なんて事故が起きたら普通では済まないのだからこれは慎重の上にも慎重を期すべきだと思うがどうだろうか。

日蝕

 1958年4月19日に日本の広い範囲で日蝕が見られたのだそうだ。しかも金環食が見られたという。私はその時、小学校5年生で、静岡県の三保半島に暮らしていた。かすかな私の記憶では、とても良い天気の日で、多分色の付いた・・黒だったかなぁ・・下敷きをかざしてみていた記憶があるけれど、記憶の一欠片にはガラス片をろうそくの炎にかざして煤をつけ、それをかざして見た記憶もあって、それがいつの日蝕だったのかは定かでない。
 しかも、この日蝕を自宅の縁側から見ていた記憶がある。当時の記録をネットで探し出すと一発で大変に詳しいものを探し当てることができて、静岡あたりで最も日蝕が大きかったのは昼過ぎのようだ。もしそれが平日だったら、こんな時間なら必ず学校の校庭で見ていた筈なんだけれど、自宅で見ていた記憶ということはどういうことなんだろうと思って、これまた過去のカレンダーを検索してみると案の定土曜日だ。
 今の子どもたちとは違って当時は土曜日は必ず学校があって半ドンだったから急いで学校から帰って来て庭で見ていたらしい。
 鮮明な記憶は風に揺れる木の葉からの木洩れ日がどんどん時間が経つにつれて三日月型になっていくことだった。とても驚いた。私にはその理屈が理解できないんだけれど、とにかく驚いた。この時に「えっ!?いったいなぜ!?」と興味を持って様々な本を読みあさるようになっていたらきっと天文学者か物理学者になっていたかもしれないけれど、凡々とした私は自転車に乗って走り回ってしまったのだった。
 それから知ったのは、どんな光源でも、親指と人差し指で小さなマルを作って手を動かしてそこを通る光をいろいろ映してみると光源と同じ影が見えることだった。ふっしぎぃやねぇ。
 2012年5月21日にも日蝕が見られるそうなので、この時にドピーカンになって貰って木洩れ日を写真に撮ろう。

ぐったりと寝る

 昨日の通し稽古から帰ってくる道すがら腹が減っていて、どうしても鶏の唐揚げが食べたくなった。こんなこと滅多にあることじゃない。そもそも自分から鶏の唐揚げを食べようという意志が働くなんてことはここ10年くらいなかったことかもしれない。とはいいながら居酒屋で誰かが頼んだものを食べるということはしょっちゅうだったけれど。途中で冷凍唐揚げを買って、家に着いてからマイクロ・ウェーブで暖めて食べた。すると、あっという間に眠くなり、22時ちょっと過ぎには蒲団に直行してバタンと寝た。ちょっと頭痛がしていやな予感だった。ふと目が覚めるとまだ午前0時ちょっとだった。
 「NNNドキュメント'10」は「沖縄・43年目のクラス会 変わらぬ怒りと苛立ち」で、43年前に沖縄の高校生の「我ら日本人 沖縄18歳の発言」に取り上げていた人たちのその後を40年間フォローしていたというのだ。NHKでもないのによくこんな取材をやっていたものだと感心した。日本テレビネットカフェ難民に関する番組でもそうだけれど意外なところをやっている。
 次週は4月25日(日)24:50からで、「ハウスブルー主婦たちのうつ事情」である。

なんで外国人が

 昨日の稽古には午後6時入りで良いと聞いていた。近所のコンビニに行くと若い人たちが何人もいて、その人たちがどうも見たような雰囲気だとは思ったのだけれど、それはずっと稽古をしていた同じグループの人たちだった。一度にたくさんの若い人たちと一緒になると、大変に申し訳ないことに、実はおじさんには見分けが付かない。
 端の椅子に座っておにぎりを一個食べているうちに隣で高校生の女性と女優さんが話していて「今日も三ノ輪の駅で大きな荷物を持った外人さんが何人も降りましたよぉ、なんでですかね?」というのだ。
 あ、そうか、この辺に暮らしている人たちではないからなぁと、かつてのドヤは今では外国人観光客にとっての格安宿泊施設になっているんだよ、日本のバックパッカースなんだよと説明すると「へぇ〜」と感心している。安くて地下鉄が通っていて便利なんだよというと「ふぅ〜ん」という。浅草も三ノ輪も今かなりの数の宿泊施設がそうしてターゲットを変えているんだという説明で少しは現実に気がついてくれれば良いんだけれど。群馬の太田市や浜松に行ってみないと日系南米人の現状に気がつくこともないだろう。
 いずれにしろ現実を見ないで排除を語る愚かな主張に与して欲しくない。