ほぼ足りてまだ欲 その先

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国会事故調

毎日新聞が報じる国会事故調の見解。(毎日新聞 2012年06月09日21時50分、最終更新06月09日23時24分)

  • 首相官邸の対応について「頻繁に(現場)介入を繰り返し、指揮命令系統を混乱させた」
  • 「東電が全面撤退を決定した形跡は見受けられない」
  • 「(原子力災害対策特別措置法に基づく)通報の重要性や意味合いを十分に認識できず、事故情報の伝達、避難指示の遅れが生じた」「確実に確認できた情報のみの発信に終始し、情報が限定的に伝わった」
  • 「緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)」が公表されず、住民の避難に生かせなかったとの批判があることに関しては「SPEEDIを初動の避難指示に活用するのは困難だった」

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 思いっきり脱力。そうか、やっぱり国会事故調のバックになっているのはそっちだったのか。

報道

おおい町長、大飯原発再稼働説明で首相会見を評価 「非常にありがたい」
 福井県おおい町の時岡忍町長は8日、関西電力大飯原発3,4号機(同町)の再稼働問題をめぐる野田佳彦首相の会見を受け、町役場で報道陣に「原発の必要性と、立地自治体が果たしてきた役割を明言してもらい、非常にありがたい。今日まで時間がかかったが、納得できた」と述べた。
 時岡町長はこれまで、「首相が明確に意思表示しなければ再稼働の議論が遅々として進まない」などと国の姿勢を批判してきたが、同日の会見を「踏み込んだ発言をしてくれた。これ以上望むことはない」と評価。自らの再稼働に関する見解について「町議会で表明する」とし、12日から始まる町議会の場で表明する意向を示した。(msn産経ニュース2012.6.9 16:30)

 町議会というのはあのふざけきった議長で知られた最低の町議会のことである。
 「非常にありがたい」という言葉には大きな意味が含まれている。

「大飯」再稼働会見 国民を守るつもりなら
 国民の生活を守るため、野田佳彦首相は関西電力大飯原発3,4号機を再稼働させるというのだろうか。国民は知っている。その手順が間違っていることを。このままでは安心などできないことを。
 これは原発再稼働への手続きではなく、儀式である。
 西川一誠福井県知事の強い要請を受け、従来の発言をなぞっただけ、西川知事にボールを投げ返しただけではないか。誰のための記者会見だったのか。いくら「国民の生活を守るために」と繰り返しても、国民は見抜いている。そして儀式には、もううんざりだ。(東京新聞社説2012年6月9日)

 もちろん、野田佳彦は西川一誠のため、東電のため、関電のため、電事連のため、経団連のためにやっているのであって、まちがっても「国民を守る」つもりなんてこれっぱかりもない。

得か損か

 すごく単純にものを考える。
 尖閣諸島は歴史を振り返ると誰も何もどうだこうだとはいわずに来たのだけれど、日本人がここを拠点にして漁をすると便利だという事から始まって日本人が永いこと出稼ぎ拠点として使ってきた。海産物の収穫がそこまで遠路はるばる海を越えてやってきた日本人の得となった。つまり、魚が捕れなければ日本人が来るわけはなかった。
 今中国が「これは中国領土だ」と主張しているのはガス田として東シナ海が考えられるんだということになってからのことだ。つまり、天然ガスというエネルギー資源があるとわかったからで、これがわからない頃は中国人はなんの興味も示さなかった。
 日本、韓国、中国がこの海域でそれぞれ主張している「領海」という概念は昔は「誰のもの」という概念はなかった。地球民全体のもので、俺が通っても良いし、あいつが通っても良いし、こいつが魚を釣っても良いし、みんなのものだった。それをなんでそんなことを言い出したのかといったらやっぱり資源としての海産物がそれまで誰も興味を示さなかったときには誰が採っても良いものだったのに、それを採ったら買う奴がいて、現金になるとわかった途端に「俺のだ、俺のだ」ということになった。
 なんで大飯原子力発電所の3-4号機を再起動(あ、いけない、野田佳彦の言葉に振り回された)再稼働しなくてはならないのか。
 なぜ、福井県の西川一誠知事は大飯原発の再稼働のために国民に向けて野田が演説するようにと要望したのだろうか。
 西川の主張はよくわかる。原発が動かないと地元に金が落ちないからである。良く「理解して貰いたい」という言い方をするが、「理解」というのは理屈がわかる、ということであって、それは原発の再稼働に反対か、賛成かということとは全く次元が違う。
 西川は廃棄物処理方法が未だに見つからないだけじゃなくて、その廃棄物がそのままでは地球上の生物すべての命を奪い、地球そのものをぶち壊しかねないという原子力発電所というシステムの可否には全く関係なく、金をもらえるか、その発電所で働く人を雇ってもらえるか、という観点だけで「損と得」を計算するという近視眼的な視野しか持っていないということなのだ。
 「損と得」の計算だけで世の中を動かそう、世の中を評価しようとする人たちはその「損と得」のスケールから逸脱することができない。つまり、自分で主張した考えの枠からはとても飛び出すことができない。
 中国は尖閣諸島を「俺のだ!」と宣言することによって未来永劫の「得」を手に入れることができると思っている。しかし、それによってより近隣との確執を高め長引かせる。彼らはそれをわかっていてもやり続ければ大きな「得」が転がり込むと思っている。しかし、それは以外に短期間で異なる価値観に取って代わられる可能性が高い。しかし、同じ事が日本にも適用できる。今まであの島のことを誰が振り返っただろうか。中国が「これは俺のだ」と言い出してからのことだ。
 西川一誠福井県知事は目の前の金に目が眩んでいるけれど、それは本来的な政治家がやることじゃない。本来の政治家は将来のこの国を視野に入れて考えるだろう。しかし、今のこの国にはそんな視野を持っている人間が政権を担当していない。それが最大の不幸なんだけれど、これは国民が間違ってしまったわけではない。国民は新たな期待を持って政党を選んだのに、その政党が選んだ国民を裏切ったのだ。こうなるとこれはもう犯罪だ。

見つからない

 昨日「そっちでこの書類を持っていますよね?」というメールが来て、そうそうと想って探し始めたんだけれど、全然見つからない。その類の書類を集めてある一角の中から出てこない。おかしい。コピーを作った記憶がある。そうやってできたコピーは確かに手元にある。それだのに、そのオリジナルが見つからない。大事だと想うあまり奥深くしまってしまって、見つからないということはこれまでの人生でたくさんある。多分そういう書類が、私が死んだあとになってどっとどこかから出現するに相違ない。その「奥深い」場所を見つけたい。一体どこなんだよ。

2012年06月08日のツイート