ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

下ネタ

 老いも若いも、男は下ネタが大好きだと思っているという層が一定量存在することは確かで、いい歳をからげてそんな話題を振る奴ってのが必ずいる。それを高らかにいうことが男としての存在を確とするというか、そういうことをいって平気でいられるのが男のレゾンデートルだと思っているふしがある。
 もはやそんな時代はとっくに通り過ぎたと思っているのだけれど、そんな時代の知り合いはすぐにそうした時代に戻ろうとするのか、もしくはそれこそが同時代の連帯意識の共有なのだといわんばかりに、振り回す。
 で、こういうことを彼らの面前で振り回すと、必ず出てくるのが、そういう奴こそがむっつりスケベェってんだというきりかえしである。そういう断定が大好きで、その一言で意気地なしとか、男らしくないとかって勝手な論理を振り回す。
 その上、そういう状況になると必ずお追従で、そういう話題に乗っていく奴がいる。そいつは必ずニマニマにやけた面をしていて、終いには手をすりすりしていたりしていそうである。
 もう面倒くさくてしょうがない。

無理もない

 日本人は結局民主主義という国家のあり方を全く理解できていないし、実際は入手しているにもかかわらず、その重要性について理解ができていない。
 それは無理もない話で、知らないうちにそんなシステムの国家となっているんだけれど、そういうシステムを苦労して手に入れたわけではなくて、そんなことに気を配るような余裕もなにもないうちにふと気がついたらそうなっていたのだから、無理もない。
 江戸徳川幕府が外圧に屈して崩壊した時に、その外圧が後押しをして明治革命が起きた。あくまでも外圧が主導した。だから、一気に西欧化の波が押し寄せてきたけれど、それは西欧の物まねでしかなかった。なぜ徳川幕府は264年も続いたのか。階級社会で、徳川一家による圧政であったと思えるのに、なんでこれほど長い期間にわたって大きな変化が起きずに継続されていたのか、不思議に思える。鎖国をしていて外の情報が入ってこなかったから、民衆はこれ以外に良い方法があるとは思っていなかったから、なんの疑いも持たなかったからなのか。だとしたら、北朝鮮だって、あれほどの脱北者が出るのはどうしてなんだろう。つまり今の北朝鮮よりも管理が上手くいっていたのかも知れない。
 1920年代の後半から日本は西欧からの干渉を拒絶して独自路線を取り、アジアの国々を我が物顔に荒らしまくった。その結果として300万人を失い、独自システム、他国を侵犯して万歳するシステムを失い、気がついたら間接民主主義政治体制になっていた。
 いずれも気がついたらなっていたのであって、自ら切り開いて、あぁ、これが良いんだ!と気がついてそのシステムを取り入れたわけではない。だから、なんでこのシステムが良いのかがわからない。何よりもそのシステムはどうすると良く機能するのかについても気がついていない。優れたリーダーというものはどうするとこのシステムの機能が発揮できるのかを知らしめる。
 しかし、偽物のリーダーはいかにしたらこのシステムを逆手にとって金儲けができるかを手にしてそれを実行する。
 アフリカのリビアという、今はほとんど国家の体をなしていない国ではかつてそうした偽物リーダーによって蹂躙されていた。カダフィ大佐が主張していたのは「緑の革命」という外から搾取されない、多くの国民が等しく富を配分される国家だったけれど、実際はそのほとんどを一族郎党で独り占めし、他の国民にそれを気づかれないように洗脳することだった。
 乱暴な表現をすると、アフリカや南米ではこの種の偽リーダーが発生しやすい。情報がコントロールしやすかったからだ。
 ところが私が住んでいるこの国もそういう点では負けていない。

良い夫婦の日

 昨日は明らかに語呂合わせの「良い夫婦の日」だったと、そうこれはどこで知ったのか忘れたけれど、思い出した。多分テレビの朝のワイドショーだったかな。「11.22」をそう読むとは恐れ入ったものだ。
 しかし、これは「良い」夫婦の日であって、どうも協力体制にないとか、仲違いが絶えないなんて夫婦の日じゃないってのか、と毒づきたくもなる。
 じゃ翻ってうちなんかは良い夫婦なのかどうかと突きつけられると、これははなはだ困る。はっきりいって、私が暴走してつれあいがあとを拾って歩いているという関係じゃないかという気がする。これはもう昨日今日始まったことじゃなくて、この夫婦関係が始まった時から既にそうだったようだ。そもそも、所帯を持とうじゃないかといいだしたのも私なら、時期を決めたのも私で、どこへ遊びに行こうも、あれを見に行こうもみんな私がいいだして実行しているような気がする。で、あれもこれも破綻した時はその始末はみんなつれあいが収めてきている。
 じゃ、連れ合いはなにも主張しないのかといったら、彼女の場合は自分が実行したいことに私を引きずり込まずにあっという間に実行している。しかし、それに気がついたのはごく最近のことで、それまではほとんど気がついていなかったのだろう。
 これはそれぞれの親の過ごし方が大いに影響をしていたのではないかという気がしないでもない。そういう眼で親を見る必要があるのかもしれないが、もうとっくに他界していていやしない。

喪中

 今年はことのほか喪中のはがきがたくさん来ている。こういうはがきが来るとそろそろ年も押し詰まっているんだなと実感するのだけれど、それにしても随分多い。多分今年に限った話じゃなくて、ここのところ、少しずつ増えているんだろうとは思うけれど、今年は毎日何枚かが届いているような印象がある。
 それでもそろそろ白寿に手が届きそうなお歳で亡くなられた親御さん故の喪中であれば、あぁ、良く面倒を見られたんだろうなぁ、その喪失感もさることながら、と思うことができるけれど、そろそろ自分と同年齢の方々ご本人が亡くなられたが故のご家族からの喪中のはがきには愕然とする。それも私を本当に良くしてくださった方のことだったりすると茫然とする。
 特に仕事をしていた頃に接点のあった方々とはもうつきあいがなくなっているから、オンタイムの訃報が入ってこないものだから、特に喪失感に駆られる。お別れを自分の心の中で言うというのはそういう機会を作らないと、自分でもけじめがつかない。
 私は人とのつながりに固執しないという性癖があるような気がするけれど、それでも心の底で繋がっていた人に対しては心が残る。

2014年11月22日のツイート