昨日は明らかに語呂合わせの「良い夫婦の日」だったと、そうこれはどこで知ったのか忘れたけれど、思い出した。多分テレビの朝のワイドショーだったかな。「11.22」をそう読むとは恐れ入ったものだ。
しかし、これは「良い」夫婦の日であって、どうも協力体制にないとか、仲違いが絶えないなんて夫婦の日じゃないってのか、と毒づきたくもなる。
じゃ翻ってうちなんかは良い夫婦なのかどうかと突きつけられると、これははなはだ困る。はっきりいって、私が暴走してつれあいがあとを拾って歩いているという関係じゃないかという気がする。これはもう昨日今日始まったことじゃなくて、この夫婦関係が始まった時から既にそうだったようだ。そもそも、所帯を持とうじゃないかといいだしたのも私なら、時期を決めたのも私で、どこへ遊びに行こうも、あれを見に行こうもみんな私がいいだして実行しているような気がする。で、あれもこれも破綻した時はその始末はみんなつれあいが収めてきている。
じゃ、連れ合いはなにも主張しないのかといったら、彼女の場合は自分が実行したいことに私を引きずり込まずにあっという間に実行している。しかし、それに気がついたのはごく最近のことで、それまではほとんど気がついていなかったのだろう。
これはそれぞれの親の過ごし方が大いに影響をしていたのではないかという気がしないでもない。そういう眼で親を見る必要があるのかもしれないが、もうとっくに他界していていやしない。