ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

散歩

 朝4時半に目が覚め、このままだとまた午前中寝てしまうんじゃないかという恐怖心があったので、10時半頃から約2時間、歩く。10,838歩でクタクタ。1万歩くらいじゃ、まだまだ大丈夫だった頃のことを考えると、本当に体力がなくなりました。なんにも鍛えようとしていないからね。
 それでも他の場所はなんちゅう事はないのにアメ横のあの部分だけは人だらけ。大統領を核とするあのあたりの立ち飲みみたいな呑み屋は朝からギッシリ満員だ。日曜日のこんな時間からあんなところで呑んでいるというのは一体どういう事情なんだろうねぇ。場外馬券売り場は上野には見かけないし、浅草のように競馬新聞を握りしめて呑んでいるわけでもないしねぇ。
 今日は神田の祭りもあるけれど、上野界隈では下谷神社の祭り。こうしてみると下谷の氏子町会って随分広いんだよねぇ。もちろん日枝神社の比じゃないけれど。

きたねぇね!

中谷元・防衛相が8日、米軍普天間飛行場の移設先の名護市辺野古周辺の辺野古、豊原、久志の3区(久辺3区)の区長と恩納村内のホテルで面談した。防衛省が報道関係者に事前に説明した中谷氏の沖縄訪問日程の中には3区長との面談は入っていなかった。移設阻止を掲げる翁長雄志知事との初会談の前日に、防衛担当閣僚が条件付き移設容認の行政区の代表に秘密裏に面談していた(沖縄新報2015年5月9日 )

 表では知事と話し合いとしながら、ウラではこんなことをしているわけですよ。こういうどぶ板は得意だものな!

くだらん

 くだらん話ではございます。

4月12日投開票の埼玉県議選で、選挙運動員に報酬を支払う約束をしたとして、埼玉県警は9日、公職選挙法違反(買収約束)の疑いで、同県桶川市若宮の元産経新聞記者でフリージャーナリスト、安岡一成容疑者(36)を逮捕した。(産経ニュース2015.5.9 19:11)

4月12日投開票の埼玉県議選で運動員に報酬を約束したとして、県警は9日、公選法違反(買収約束)の疑いで、立候補し落選した諸派の元産経新聞記者安岡一成容疑者(36)=同県桶川市=を逮捕した。「事実ではない」と容疑を否認している。(共同 東京新聞 2015年5月9日 20時07分)

 他紙もみんな元産経新聞記者と書いているから、これは多分警察発表はそう書いてあったんだろう。それを産経だけがフリーってことにしたってことだね。わかりやすいねぇ。そういう新聞です。

187人

【ワシントン時事】欧米を中心とする日本研究者187人が4日、安倍晋三首相に送付した声明の要旨は次の通り。
 戦後日本が守ってきた民主主義、自衛隊への文民統制、警察権の節度ある運用と政治的な寛容さは、日本が科学に貢献し他国に寛大な援助を行ってきたことと合わせ、全てが祝福に値する。しかし、世界から祝福を受けるに当たっては障害がある。それは歴史解釈の問題だ。
 最も深刻な問題の一つに、いわゆる(従軍)慰安婦制度の問題がある。この問題は日本だけでなく、韓国と中国の民族主義的な暴言によっても、ゆがめられてきた。しかし、彼女たちの身に起こったことを否定したり、過小なものとして無視したりすることは受け入れられない。
 女性の移送と慰安所の管理に対する日本軍の関与を明らかにする資料は、相当発掘されている。確かに被害者の証言はさまざまで、記憶も一貫性を持っていない。しかし、証言は全体として心に訴えるもので、元兵士その他の証言だけでなく、公的資料によっても裏付けられている。
 慰安婦の正確な数について歴史家の意見は分かれているが、女性が尊厳を奪われた事実を変えることはできない。「強制的」に慰安婦になったかどうかについて異論を唱える歴史家もいるが、大勢の女性が意思に反して拘束され、暴力にさらされたことは、資料と証言が明らかにしている。
 米国、欧州諸国、日本を含めた帝国列強の中で、無数の市民に与えた苦しみに十分に取り組んだと言える国はまだない。
 今年は日本政府が過去の植民地支配と侵略の問題に立ち向かう絶好の機会だ。4月の米議会演説で首相は、人権という普遍的価値、人間の安全保障の重要性、他国に与えた苦しみを直視する必要性について話した。こうした気持ちを称賛し、その一つ一つに基づいて大胆に行動することを首相に期待してやまない。可能な限り完全で、偏見のない(過去の)清算を共に残そう。(時事ドットコム 2015/05/07-09:33)

 学問的にトップクラスであるばかりか米国のアジア政策にまで影響を与えるような名を知られた大物を含む。
 これだけの研究者がこれだけの声を上げていることに驚く。それに対して日本の歴史家たちは如何か。

母の日

 今日は母の日である。私たち夫婦にはもう母がいない。うちの母は最後は認知症を患っていたから、最後の言葉をまったく覚えていない。連れ合いの母親は心筋梗塞を病んでICUから出られないままほぼ一週間ほどで他界した。ICUの様子を見に行った時、目をあいていて、人を見るなり「太ったんじゃないの?」と言った。それが私に対する最後の言葉だった。あれ以来痩せることがない。
 うちの母は生来明るい性格だった。人を笑わせたがった。しかし、自分の夫に対しては片時も気を許すことなく、正に遣えていた。何もあんなにしなくたって良いじゃないかと思うほど、いわれるがままにサービスをしていたし、なんでも最後は「お父さんはなんていうかしら」だった。それでいて、私がドラムスを買ったときは見て見ない振りをしていた。
 浪人していたときだったか、「これから友達とゴーゴーに行く」といったら、「私は知らないからね、お父さんに怒られても!」と逃げを打った。当時、そういうところに出入りするのは不良という価値観だったから。もうあれだけでビビってたんだろうなぁ。

2015年05月09日のツイート