ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

アンサンブル・コルディエ

 室内楽団の「アンサンブル・コルディエ」の定演がいつものように東京文化会館の小ホールであった。あまり入りが良くない。後ろの席はほぼ2割ぐらいしか埋まっていない。
 週末の昼にできたらもっと来る人がいるのではないだろうか。チェロとコントラバスが初めて見る人だった。とても楽しい演奏会だった。大塚さんのチェンバロのソロを初めて聴いたのだけれど、そのテクニックに舌を巻いた。それでいて、平然としている様子にますます、驚くのだった。

 今日の演目の中ではラターを初めて聞き、これがとっても良かった。これは若い人たちのオーケストラによる演奏。

外出

 今年の4月にもHolland America Lineというクルーズ会社の船が横浜から出港して横浜に戻るルートを航海したそうだけれど、その来年のクルーズの説明会というのが京橋であると、ネット上で見つけ、無料だと書いてあったので、すぐさまその場でその会社のHPから申し込んだ。しかし、いつまで経ってもなにも反応がない。30名限定と書いてあったので、申し込みが遅かったのかもしれないと思っていた。
 それでもなんにもいってこないので、昨日記載されていた横浜の電話番号に電話をしてみた。すると中年の女性がくらい声で「ハイ」とだけ出た。あれ?電話番号を間違えたんだろうかと、その会社なのかと聞いてみると「そうです」という。説明会に参加させてもらえるのかどうかとお伺いしてみると「大丈夫です」という。じゃ、なんで返事をくれないのかと思ったが、そうであるのならまぁ一安心、と思ったら夜になったらメールが入っていた。なんだかへんだ。
 京橋の会場に行ってみると、およそ20人ぐらいしか入らないお店で、これでは30名様は少々どうかなと。私たちの前には60前後の女性がひとり。その後私の横に50代の女性がひとり。その向かいにやっぱり50代の女性がひとり。この人達はそれぞれ今年のGWにバルセロナからのクルーズに時期は違うけれど乗ったんだそうで、話が盛り上がっていた。
 つれあいの前の女性はわざわざ自分は歩く会に参加していて、今日も朝から何十kmも歩いたんだ、なんていっていた。そうですか!と驚いてみせる。
 なんだか不思議な雰囲気だ。多分主宰者は船好きが高じて会社を興したとおぼしき人で、結局、船会社のいくつかある代理店のうちのひとつの二次代理店だということがようやくわかった。
 クルーズというのはおおむね、ずいぶん早いうちにキャビンを抑えると様々に有利なようで、例えば10ヶ月前までに買うと、その分安いだけではなくて、船上で使う枠をもらえたりする。
 近年、欧米のクルーズ会社が日本発着のクルーズ船を配船してきていて、競争は激化しているといっても良いのだけれど、実態は春先のアジア航路が米国、豪州の客に評判が出てきているらしい。
 欧米のクルーズではもはや東洋人客の中心は日本人からとっくに中国人へ移ってきている。
 二次代理店を通してクルーズを抑えるメリットは今回のように、人気のある航路の売れ残りの安くなってきているキャビンを探すことだろう。
 造船所勤務経験を持つものとしてはクルーズは魅力があるのだけれど、それでもやっぱり贅沢か。

中学

 夜中に耳に突っ込んでいたイヤフォンから流れていたのは多分TBSの「おぎやはぎのめがねびいき」だったのだと思う。その音声のまま夢が流れていたらしくて、夢の中に登場してきたのはおぎや、やはぎそのものだったのだけれど、どこかでいつもやられていたいじめの一種だった。それはうちの中を私が片付けているのだけれど、それを彼ら数人がどんどん他のところへものを移してしまって、どんどん私にわからなくなってしまうというものなのだ。誰もそんな手間暇、体力が掛かるいじめなんてことをするわけがないのだけれど、この種の恐怖感に駆られたことがどこかで実際にあったような気がするのだけれど、それがどこで、だれだったのか、全く想像がつかない。圧倒的な力で孤立していた状況の中でのことだったような気がするのだけれど。
 これとは直接つながらないような気がするのだけれど、私が中学三年生の時のクラスは出身小学校による勢力分布ができていて、上等住宅地域にある小学校勢が第一勢力を誇ってあたりを制圧していた。私は学区外からの越境通学だったから、組織力も連帯感も全くなくていわゆる「その他」だった。多分クラスのほとんどがこの第一勢力を横目で睨みながらいたんだろう。中学二年生の時のクラスの思い出の方がよっぽど残っている。
 その第一勢力には本当にあの「ドラえもん」の様なキャラクターが揃っていた。ジャイアン、ツネオはもちろん、それぞれ特徴的な連中がいて、それ以外の生徒を馬鹿にしていた。
 ところがその連中がそのまま上手い具合に成長していったのかというと、「ドラえもん」の様に、いつまでもそのままであるわけにはいかない。高校に進学してみると、彼らのうちのふたりが私と同じ高校だった。しかし、グループから離れた彼らふたりはすっかり大樹がなくなってしまったので、静かになってしまった。その上、ふたりがふたりとも50代で他界してしまった。
 妙に老け顔だったひとりは、私が一浪して入学した大学へ三浪して入ってきた。彼をキャンパスで見つけた私と二浪して入ってきた友達のふたりは思わず絶句して彼に声をかけられなかった。
 ジャイアンとツネオはどうなったのか、知らない。上手くいったのかもしれない。彼らはあの一年だけをそんな存在として過ごしたのだけれど、自分たちは全然そんな意識をしていなかったかもしれない。
 あるいは仕事を辞めるきっかけの一つとなった職場の状況がその夢の根底にあるのかもしれない。

2017年06月22日のツイート