ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

私も気になっていた。

あんとに庵さんのところで話題になっていたのが、人混みにいくと必ずいる黄色い看板に黒い文字なんかで「悔い改めよ」と書いてスピーカーでいつも同じ男の人の声で、聖書の言葉を流している人がいるが、あれはだれ?というもの。で、答えはこちらに詳細があるように、「聖書配布教会」という団体だという。しかも、良く地方に行くと民家の壁なんかに貼ってある聖書の言葉なんかも彼らの活動だと、氷解。なにか下心のある団体なのかといつも一歩距離を置いてきた。ただ、あまりにも終末観で脅しを掛けるようなところに足場を置いている気がして、そこが日本人にはなじめないところ。
 そういえば救世軍について今の日本人社会ではどの程度理解されているのだろうか。私にとっては子どもの頃からクリスマスになると「社会鍋」とかいた土鍋のようなものを三脚に吊して、軍服を着たおじさん、おばさんがラッパを吹きながら、「信じるもぉのはだぁれぇもぉ〜、みぃ〜なすくわるぅ〜」と唄っていたのを見ていたから、違和感がない。しかし、多分今の若い人たちは一体なんだろうと不思議に思っていることなんだろうなぁと思う。ま、纏めてしまうと日本ではキリスト教は全くのマイノリティーだから何もかも知られていないと思えば間違いがないということだ。
 尤も、仏教のことだってあんまり知られていないけれどね。
 ということはやっぱり近代日本人社会は宗教観というものを総じてはじき飛ばしてきたということなのではないのかな。宗教観を持つということはどういうことかといえば、なにか自分がコントロールしきれない大きな力をどこかに感じるということではないだろうか。それを感じないということは、つまり全く物質信仰であるということか。これをまぁ、よく使う言葉に置き換えるとなんだか手垢にまみれたものになってしまうわけだけれども。そう考えると外国から帰ってきた時にこの国に特有に感じる、小手先価値観に振り回されている幼児的物欲の発露を肯定する風潮が分かるような気がしてくる。
 大晦日だというのに、決めつける日になってるなぁ。