ほぼ足りてまだ欲 その先

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匂いといえば

 ここしばらくペンキの匂いを嗅いでいない。ペンキの匂いというよりは多分あれは溶剤の匂いなのかも知れないが、ずいぶん長いこと鼻をかすめるチャンスがない。かつてはあっちにもこっちにもペンキの匂いがあったような気がする。生まれて初めてペンキの匂いを鼻にしたのは子どもの頃のことだろうけれど、多分それが横浜、本牧の米軍宿舎の廻りだったのではないかと思うのだけれども、それは自分が勝手にあとから作った設定なのかも知れない。しかし、今でも思い出せる生まれた家、その後に引っ越した家を想い出してもペンキを塗った場所はどこにも思い出せない。
 鮮やかに思い出せるのは、本牧の市電が通る通りの横に広大に拡がる芝生とその緑の中に点在する真っ白なペンキを塗った木造の二階家だ。勿論私たちがどんどん入っていける訳もなく、通りとその芝生のあいだには金網があり、上には鉄条網が張ってあった。その頃の写真を見ると今からはとても想像ができないような洋服を着ていた私はそうした金網のあくまでもこっち側にいて、あっち側には決して入っていけない立場にいた。どんなに抗ってみようが説明をしようが、あっち側に入っていける可能性はこれっぽっちもなかった。だから1970年に生まれて初めて海を渡り、サン・フランシスコのたった一間のアパートに暮らしている人のところに臆面もなく図々しくも転がり込んだ時に、その木造3階建てのアパートにたったひとつある窓から顔を出して切り取られた狭い青空を仰ぎ見た時のあの外壁のペンキの匂いは、私にとってひとつの壁、いやこの場合金網と言うべきか、を超えた、そんな自由と言うべきか、あるいは突き抜けた感とでもいう、そんなものを身体一杯に吸い込んだような気がしたものだ。
 ところがそれから1年もしないうちに私にとってのペンキの匂いは日常茶飯事となった。ペンキ塗装なくしては考えられない現場で仕事をすることになったためである。それからの数年はペンキに助けられ、ペンキに苦しめられる日々だった。そこを転勤で脱してからだ。ほとんどペンキの匂いを嗅ぐことがなくなった。