ほぼ足りてまだ欲 その先

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今回のこと

 渡邉恒雄中曽根康弘森喜朗三宅久之といった面々が嬉しそうに今回の出来事を「憂国の士」づらをして「こんなことを思いながらわれわれが構想したにもかかわらず、わけのわからん、しかも政治の世界にいる若い奴らがその状況を理解できていない」といわんばかりに語るところを見ると、時代錯誤も甚だしいとあまりの論理に唖然とする。
 至近の選挙、つまり国民の民意を発露する唯一絶対の機会において国民は自民・公明与党に対して「お前らでは今はもうダメだ」と判断したのだ。自民党総裁自らがクビをかけているといってキャンペーンを展開してきた。その結果国民はそっちではなくあっちだという結論を出した。その結果この状況になったということを彼らが認識できない、いや認識したくないだろう。それも無理はない。これまでにこれほどの状況に直面したことはなかったといって良いだろう。頭の中には自自社さの時代がよぎったことだろう。
 国会が動かないという状況になってしまったことを打開せずしてどうするのか。このまま日本という国が停滞する実状をどうするのかという点を考えたら、この「大連立」という動きをなぜ理解できないのか、そんな「未熟」な政党を国民が支持してどうするのか、としきりに連呼し、「次回の衆議院議員選挙では民社党は必ずや勝利することはできない」と強調する。なにしろ民社党党首自身が勝てないといっているじゃないかと(そういえば私も書いたことがある)。確かに今回の小沢一郎の行動、言動は誠にみっともないものだった。これは否定のしようがない。なんで彼を慰留したのかといえば蓋の重しだったからだろう。しかし、その重しも厳然たる重しではないだろう。たまたま準備ができていない状況だからの重しだろう。なぜあそこで小沢の重しを思いっきり外してしまわなかったのだろうか。返す返すも残念だ。