ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

2.26事件

 そぼ降る雨の中、保阪正康の話を聞きに行く。ちょっとは早めに家を出たはずなのに結局同じ地下鉄になってしまい到着は開始の5分前。ぎっしりと席は埋まっていたがひょいと前の方を見ると一番前、二番目に荷物の載った椅子がある。あぁ、多分隣の人が荷物を置いているに違いないと、一番前まで行って「そこあいていますか?」と聞くと案の定である。早く来て前に座った人は後ろの埋まり具合が分からないから荷物を置きっぱなしにする。どうもみなさま荷物にも席を与えようとする。
 今日は2.26事件、そしてその前後における影響をどう見るかという話。保阪正康の著作を見ていくとおおよその概念は分かる話ではあるが、細かいところで保阪の考え方が良く分かって面白い。当時わが国には13ヶ国からの駐在武官が居たそうで、彼らがどの様な報告書を本国に向けて発信していたのかという点を研究してくれる方が出てくれるとそれは大層面白いのだけれど、誰かいないものかという発言にはなるほどと頷いた。ソ・英・米・仏・独・中・ルーマニア・アルゼンチン・タイの他にどこの国が駐在武官を置いていたのだろうか。保阪はすでに68歳となった現在ここを掘る気になれない様だ。「若い人たち、いや60代でもやってくれる人はいないものか」という。これをやるには言語に長けていなくてはできないということだ。2.26事件の背景には社会主義思想によって動いたという説があるそうで、この辺りについて何かしらレポートされているのではないかという期待もあるのだろう。
 意外に思ったのが埼玉県が調査した「新編埼玉県史別冊 二・二六事件と郷土兵(1981)」および「雪未だ降りやまず―続二・二六事件と郷土兵 (1982)」である。2.26事件には指導青年将校20名余に、入営したばかりの兵を含めて1,500名が動員されたが、その中に埼玉出身の兵が多く含まれており、その一人だった元埼玉県知事・畑和が指示して実行された調査だった様で、こんなものが編纂されていたことを知っただけでも今日は大いに意味があった。これらはどうやら学校の図書館にある様だから早速借りだしてみたいと思う。
 こうしたプレ・2.26から2.26、そしてポスト2.26に繋がり、そして結果として明らかに何事も暴力的に流されていき、皇紀2600年の盛り上がりから敗戦に繋がるわが国の「あの時期」は「変調を来していた(吉田茂)」から起きたことなのか、あるいは「われわれの本来的な、辿りつくべき当然の道」だったのか、という疑問はいつまでも解けないという言葉にはハッとさせられた。今日は終わると聴衆から拍手が湧いた。

今日の文献