ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

所変われば品変わる

 昨日友人に近所のちょっと高級といわれるスーパーマーケットに連れて行ってもらった。GELSON'Sという店だった。店内はとても広くて、落ち着いた色調で統一されている。品揃えはとても豊富で、何もこんなにたくさんの種類と品物がそろえてなくても良いんじゃないのかと思うくらい。
 木曜日の夕方5時半くらいだったけれど、ガラガラだ。当然週末に買い物客は集中するんだろうからドライものの棚にはほとんどお客はいない。野菜、肉、そして最も人がいたのはデリやサラダ、ハムの類のコーナーだった。サラダ・バーは1ポンドあたり6ドルちょっとという表記がしてあって、つまり葉っぱ類は安いけれど、豆類は高くつくということになろうか。ドレッシングも7-8種類が並べてあった。この辺は豪州のスーパーでも同じようなコーナーがあったけれど、その充実ぶりは比較の対象ではないという位。スープですら4-5種類がカップで持って帰ることができる。どれも、ほんのちょっと他のスーパーより高いかも知れないが、その分他にはおいていないものが置いてあったりする。
 お客がゴロゴロ転がしていくトロリーもやたら丈夫で大きい。こうしたトロリーを駐車場から、あるいはところによっては周りの道路から回収してお店の入り口に並べる専門の職種がいる。そしてこの地域ではキャッシャーの横に紙袋やプラスティックバッグに入れてくれる係の職種がいる。私から見ると、こんなところに余計な人を雇ってくれなくたってその分安くしてくれよ、と思ったりするけれども、実はこの店で買い物をすることのできる階層の人たちはそれだけこの仕事に従事する人たちにこの仕事を提供しているということである。多分、それで生活できる人はそうして社会資本の配分ができると考えて良いのではないだろうか。
 かつて私たちの国でも多額の収入を得ていた官吏や実業家は家に住み込みの働き手を抱えているのが普通だった。あれも当時は一種の社会資本の配分を果たしていたということかも知れない。しかし、それが足元を見て労働の正当な対価を支払わなくても良いという風潮の元に成り立っていたときにこれが最も重要な問題になる。仕事を得て収入を得たい人がいる。仕事をしてもらいたい人がいる。そこまでは良いのだけれど、そこで不当に安い値段で労働を買おうとするところに問題が起きる。